道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

マタイ26章47-68節

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「先生、お元気で」*1とはなんと白々しい…。イエス様を売り渡すための合図は「口づけ」でした。その忌むべき裏切り者に対して、イエス様は「この恩知らずめ!」と怒鳴るのではなく、「*2友よ…」と呼びかけます。

 

 寝食を共にし、師として、友として、深い愛を注いできた弟子から裏切られるイエス様の痛みはどれほど大きかったでしょう。そのユダの裏切りはなんと罪深いでしょう。*3

 恩知らずな態度、白々しい裏切り、師を見捨てての逃走…。このような弟子たちの姿は、私たち自身の姿でもあります。しかし、主は憐れみ深く、悔い改めることができるように導き、私たちにチャンスを与えてくださいました。ただただ感謝するほかありません。

 

捉えられたイエス様は、デタラメな裁判にかけられます。大祭司は、神の名を持ち出してイエス様に証言を求めます。「あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」と…。

 

イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」26:64


イエス様はここではっきりと、ご自身が「神の子キリスト」*4であることを認められました。さらに、将来、この地上に王として地上を統治するために再臨されることまでお話になりました。

 

すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。どう考えますか。」彼らは答えて、「彼は死刑に当たる」と言った。(26:65-66)

 

ユダヤの最高議会(サンヘドリン)には、「全会一致の死刑判決は無効」という規定がありました。なぜなら、普段は各々に強い自己主張をしているユダヤ人が一つの異論も唱えずに全会一致をするのは「臭い」からです。それは、何らかの工作がなされて偏見に基づく裁判が行われた可能性が高い、もしくは、一時的な感情的興奮による裁判である可能性が高いのです。ですから、訴えが取り下げられるか、一日置いて頭を冷やしてから再審が行われるのが普通でした。

 

しかし、そのような通常のルールを無視して、イエス死刑の「強行採決」が行われます。「神への冒涜だ」*5とイエス様を断罪する人々が本当に「神」を恐れ、その御心を知ろうとしていた様子は全くありません。彼らはまさに「神ご自身」を死刑にしようとしているのです。しかしながら、これは私たちにとって他人事ではありません。私も「そこにいた」のです。

 

こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」(26:68)

 

「あなたを打ち、あなたを辱めたのは私です。主よ、こんな私たちを友と呼んでくださること感謝します。あなたを十字架にかけた私たちに悔い改めの機会を備え、神ご自身へと立ち返ることができるよう導いてくださり、なんと感謝を申し上げて良いか分かりません。本当にありがとうございます。どうか、どうか、私たちの心が真にあなたを恐れる思いで満たされ、私たちの人生の全ての領域があなたを主として尊ぶことで満ちますように。人の意見、この世の風潮、一時的な感情ではなく、神ご自身の御心を求め、今日もそれに従うことができますように…。」

※写真:鶏鳴教会の地下、カヤパの地下牢とされる場所

 

*1:「先生、万歳」とも訳せる。

*2:ただし、この「友」は「仲間・同僚」などを表す表現です。

*3:「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。」(詩篇41:9)の成就

*4:神ご自身とひとつであり、預言されていたメシア

*5:「イエスは彼らに答えて言われた。『この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。』そこで、ユダヤ人たちは言った。『この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。』」(ヨハネ2:19-20)この箇所を見て分かるように、イエス様はご自分で「わたしは神殿を壊す」とは仰っていない。偽証者は、イエス様が実際に言われた内容を巧妙にねじ曲げて訴えをしている。