今日からしばらくの間、第一サムエル記を読んでいきます。サムエルの誕生から幼少期、預言者としての働き、将来の王となる人物たちとの出会いなど、ワクワクするような内容です。
この書の時代背景は、今から約3100年前、士師記・ルツ記に続く時代です。モーセ・ヨシュアに率いられて出エジプトし約束の地に入ったものの、先住民族との戦い、彼らからの霊的・文化的影響などにより、イスラエルの信仰は本来の姿から外れた状態になっていました。
士師記の時代は「それぞれが自分の目に正しいと思うことをする」という、神が無視されていた時代だったのです。
…そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。(3:1)
この後、サムエルのリーダーシップによってイスラエルは徐々に霊的回復をしていきます。道のりは厳しいものですが、希望が感じられます。
さて、この書の全体像を大まかに見ておきましょう。
第一サムエル記は、大きく三つの部分に分かれています。
第一に、イスラエルの最後の士師であり預言者となった「サムエル」についての部分(1-7章)。
第二に、イスラエルの最初の王「サウル」に関する部分(8-15章)。
そして、第三に「ダビデ」への王位移行の部分です(16-31章)。
さらに第二サムエル記へと歴史は続いていきます。
エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。この人はエロハムの子、順次さかのぼって、エリフの子、トフの子、エフライム人ツフの子であった。(1:1)
今日の箇所に登場するエルカナは、エフライム部族の土地に住むレビ人でした*1。イスラエルの十二部族の中で、レビ族は自分たちの相続地を持たず、他の部族の土地に中に住んで「礼拝」の働きに仕えていたのです。
エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。(1:2)
この当時、一夫多妻が当たり前の習慣として定着していました。これは創造の秩序に反します*2。この事実からも、いかに人々が神とそのみことばから離れていたかが分かります。
ペニンナは「宝石」、ハンナは「恵み」という名前の妻たちですが、この二人の仲が悪いのです。夫がハンナを寵愛し、ペニンナは嫉妬してハンナの不妊を材料に陰険ないじめをする…。夫は傷ついている妻の気持ちがイマイチ分からない…。
ドラマが起こる要素がたくさんありますね。ハンナは、当時シロにあった主の宮に行き、子どもが与えられるように必死で祈ります。
ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(1:10-11)
祭司エリが、彼女のただならぬ様子を見て声をかけますが、ハンナは「主の前に、私の心を注ぎ出していた」(14)と言います。エリが「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」(17)と宣言するのを聞くと、「彼女の顔はもはや以前のようではなかった。」(19)とあるようにハンナの心は希望に満ち、晴れやかになります。
心を注ぎ出して祈り、神からの約束のことばを聞くことによって、私たちの心、表情、行動は変わってきます。私たちも自分の心の内を思い切って正直に主の前に祈りたいと思います。そのことにより、私たちは心を開いて主のみことばを聞く準備ができるのです。
この後、この書の主人公サムエルが誕生し、母ハンナが誓ったように息子の生涯は神に捧げられます。幼いサムエルは、祭司エリの元で暮らすようになるのです。
「この子は一生涯、主に渡されたものです。」こうして彼らはそこで主を礼拝した。(28)
この1章には「礼拝」ということばが三度出て来ます。神様の「カ」の字も出てこない士師記の時代から見ると大きな違いです。憐れみ深い神様は、信仰のスランプに陥った者をも徐々に徐々に回復へと導いてくださるお方です。
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