道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第一サムエル記3章

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非常に有名なストーリーですが、何度読んでも魅力的な、味わい深い箇所です。3章に込められている意味は計り知れないほどですが、少しお分ちしたいと思います。 

この箇所に記されている出来事が起こった時、サムエルは幼児から少年になっていました*1。歴史家のヨセフスは、この時のサムエルが12歳であったと記しています。彼は、神の箱の安置された主の宮で眠っていましたが、「サムエル、サムエル」と呼ぶ声を聞き、師であるエリの元へ「お呼びになりましたか?」と三度駆けつけます。

 

主が三度目にサムエルを呼ばれたとき、サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので」と言った。そこでエリは、主がこの少年を呼んでおられるということを悟った。それで、エリはサムエルに言った。「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『主よ。お話しください。しもべは聞いております』と申し上げなさい。」サムエルは行って、自分の所で寝た。そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。(3:8-9)


ここから学ぶことができることの一つに、人には「罪による闇の部分」「神の恵みによる光の部分」の両方があるということがあります。

 

エリは子育てに失敗し、祭司としては惨めな終わり方をしようとしています。サムエルが彼の元に来ても、すぐにそれが主からの語りかけであるとは気づきませんでした。これはエリの罪人としての姿です。

 

しかしながら、それが全てではありません。エリも最後には霊の目を開いてその事実に気がつき、サムエルに的確なアドバイスをします。この後、サムエルが主から聞いたことばは、エリの一家に対する厳しいさばきのことばでしたが、彼は自ら進んでそのことばをすべて聞き、しっかりと受け止めます。

 

私たちはつい善か悪かという二元論でものを考え、「あの人は良い人」「アイツはダメだ」と思いやすいものです。「あの教会は良い教会」「あの人たちは良くない団体」「あの本はイイ」「あのサイトは酷い」などという見方もあるかも知れません。

 

しかし、人間と、人間による営みのすべては、罪の側面と神の恵みの側面の両方を含んでいるのです。私たちはそのことを認め、それを識別できる成熟を身につけていきたいと願います。善と思える事柄の中にも悪を見抜き、悪と思える事柄の中にも恵みによる善なるものを見いだす力を養うのです*2


また、この出来事について、ある注解者はこのように語っています。

 

子どもの宗教的巣立ち、すなわち最初の神体験のために、親が、果たしてエリのように、わが子を自分から突き放して、「主よ。お話しください。しもべは聞いております」と神に向かうように教えているであろうか。むしろ親は、わが子が中学生になっても幼稚園に通っていた時のように、夜はおろか、ことごとに「はい、ここにおります」と応えて親のもとに来てくれるのを期待しているのではないか。…親は、中学生のわが子が自分に聞くよりも神に聞いてくれることを喜ぶ信仰的従順を自分の身につけなければならない。*3

 

神の声を聴くように子どもを促すということも、非常に重要な教えとして受け止めたいと思います。サムエルの「聞いております」ということばは、「従う準備はできています」という意味です。子どもたちが神様に対してそのような態度をもった若者となっていくことができるように、また、私たち自身がそのような態度をもって歩んでいくことができるようにと切に祈ります。

 

私たちは現代においても、生きた神ご自身のことばを聴くことができます。聖書を読むことがまさにそうです。声に出して読むなら、直に耳で聴くことになります。よく理解するなら、それは心で聴くことになります。聴いたことを、小さなことであっても素直に実践するなら、それは人生そのもので神のことばを聴いていることなるのです!

 

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*1:ダビデがゴリアテと戦った際の「少年」ということばと同じ原語

*2:「あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。」(ヘブル5:12-6:1)

*3:新聖書注解・榊原康夫