道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第一サムエル記30-31章

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ペリシテ人とのゴタゴタが起こっている最中に、アマレク人がネゲブとツィケラグというイスラエル人の町を襲撃していました。住民全員が捕虜にされ、町が焼き払われてしまったので、ダビデも部下たちも泣き明かしました。そのような状況の中で、仲間たちがダビデに対する不満を募らせ、「石で打ち殺そう」とまで言い出す者が出て来ました。まさに泣きっ面に蜂という状態です。彼は悩みに悩みました。

 

30: 6b しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。


    
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この箇所を読んで、私たちの霊は強く揺さぶられ、燃やされずにはいられなくなります。「彼の神、主によって奮い立つ」とは具体的にどういうことでしょうか。単に気合いを入れるとか、前向きに考えるということとは違います。彼はあくまで、彼の信じる神ご自身を「私の神」として思い起こし、その神の恵みを思うことによって奮い立ちました。

 

そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。(2テモテ2:1)

 


ダビデは、当時の習慣に従って祭司の装束エポデを持ってこさせ、主に伺いを立てます。すると、主なる神様はアマレク人の略奪隊を追いかけるように指示されます。たった今80kmもの道のりを移動してきたばかりでしたが、六百人のダビデの軍勢は主の指示に従います。途中、二百人は疲労のために脱落するのですが、残りの四百人は、アマレク人の奴隷となっていた一人のエジプト人の手引きにより略奪隊の陣営に追いつきます。この奴隷との出会いの様子が次のように記されています。

 

彼らはひとりのエジプト人を野原で見つけ、ダビデのところに連れて来た。彼らは彼にパンをやって、食べさせ、水も飲ませた。さらに、ひとかたまりの干しいちじくと、二ふさの干しぶどうをやると、彼はそれを食べて元気を回復した。三日三晩、パンも食べず、水も飲んでいなかったからである。ダビデは彼に言った。「おまえはだれのものか。どこから来たのか。」すると答えた。「私はエジプトの若者で、アマレク人の奴隷です。私が三日前に病気になったので、主人は私を置き去りにしたのです。(30:11-13)

 

ダビデらはこのエジプト人の素性を知る前にまず親切にしてやります。すると、彼は貴重な情報源であることが分かったのです。もしここで、彼が「今はこんな見知らぬ旅人に関わってはいられない。家族の救出が先だ」と言っていたら、結果としては家族の救出も不可能であったかも知れません。「与える」「親切にする」ということが突破口になったのです。

 

さて、一方のアマレク人たちはお祭り騒ぎをして油断し切っていましたので、ダビデの部隊はあっという間に彼らを打ち破りました。戦利品を分配することになった際、「途中で脱落した二百人に分け前をやる必要はない」と主張する人々もいましたが、ダビデは二百人にも、ユダの長老たちにも気前良く分け前を与えました。このような気前の良さが、後々、民の文化となり定着していきました。自分自身の生活の中に、家庭の中に、教会の中に「与える」「捧げる」「分かち合う」という文化を豊かに築いていきたいと思います

 

与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカ6:38)

 

この後、31章ではヨナタンの戦死、サウルの自害の様子が記されています。ペリシテ人は、サウルの遺体を晒しものにしました。あの神の人サムエルが、以前サウルに語ったことばを思い出します。

 

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(15:22-23)

 

 

だれも知らなかった恵み

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