道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

「広く浅く」という基礎力

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様々な分野について何らかの意見を述べようとするとき「広く浅く」の知識を持っていることが基礎力になると思う。もっというと、「そういう基礎力もまだ十分に持ち合わせていません…というわきまえ」を持っていることが力になるのではないか。

 

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広すぎなくて良いし、はっきり言ってかなり浅くて構わない。「狭過ぎてかなり深い」(深いと思っている)よりはずっと有益だと思う。自分自身の意見がその「広い」中でどの位置にあるのかを俯瞰しながら、その上で「私はこう考える」と主張することができるからだ。

 

聖書を少しでも深く読むためには、まずは、「聖書全体がだいたいこんな流れで、あんな感じのことを言っている」という広く浅い知識があると良い。イスラエルと周辺諸国の歴史、地理、文学的な分類などを広く浅く知っていることは大きな助けになる。

 

神学をするなら、自分とは全く異なった立場にいる人々が何を考え、どう語っているかを知ることは有益だ。ある神学的主張は、当時もしくは少し前の時代における別な「ある神学的な立場」に対抗するものとして起こっていることがほとんどだと思う。

 

だから広く浅く、教理史や思想史を概観できるととても良いと思う。ただし、概観するための書物も著者の立場が色濃く出る場合が多いことにはある程度注意した方がいいだろう。

 

イスラエル/パレスチナ問題について意義あることを語ろうと思うなら、親イスラエル的立場と親パレスチナ的立場から書かれた著書のどちらもに数冊ずつ目を通す必要があるだろうと思う。憲法の問題、原発の問題なども然り。

 

そもそも、私たち人間に「広く深く」は不可能だ。これは「諦め」ではなく「わきまえ」として必要なことだと思う。「広く浅く」も実はかなり難しいので、「狭く浅いけど、少しでも広くなることを目指しています」ぐらいのわきまえが必要なのかもしれない。

 

聖書には次のように書かれている。

 

人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。(1コリント8:2)

 

「広く浅く」という基礎力を身につけることに励みながら、「ほんのちょっと踏み込んだことを言う」ぐらい(の自己認識)がほど良いと感じている。一生基礎で終わるかもしれないが、それもそれだ。

 

書いているうちに、「あれ、最近、誰かが他で言っていたことと同じようなことを言っているな」と思ったりする。それもそれだ。

 

私など所詮そんなものと思いながら、これからも「ちょっと踏み込んだこと」を語ることにしよう。そして、語るだけではなく、自らの信ずるところに基づいて「ちょっと踏み込んだ生き方」にチャレンジし続ける者でありたい。

 

 

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プロテスタント思想文化史―16世紀から21世紀まで

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