道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

マルコ4章10節-34節

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神の国の奥義

宗教指導者も、親族や家族も、主イエス様を受け入れず、狂人や悪魔憑きとして扱うことさえしました。それ以降、主は「たとえ話」で語られました。そして、十二弟子とその他の弟子たちにこう語られます。

 

「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため』です。」(4:11-12)

 

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福音書に出てくる神の国、御国、天の御国などは「神の王国」「神の支配」を意味する表現です。そして、ここで主は「神の国の奥義」と語られます。これには少し説明が必要です。ある注解者の解説を引用しましょう。

 

この王国 ー地上と人々の心に対する神の支配ー は、現在この奥義の形で存在しています。キリストは究極的には完全な主権者ですが、全地の王としてはその意志を行使していません。主は現在、信じる者たちに対してのみ、王としての統治を行っているのです。主の御国はすべての贖われた者たちを含むものですが、信じることのない者たちには見ることのできない形で存在しています。*1


ユダヤ人指導者がメシアを拒んでから現在に至るまで、私たちは「奥義としての神の国」の時代を生きています。神の国はこの世界に隠された形で存在し、「分かるようにされた人には分かる」という状態が続いているのです。


主は「聞く耳のある者は聞きなさい」と繰り返し語られましたが、聞くことができるように耳を開いていただき、奥義を明らかにしていただいたことはなんと幸いなことでしょうか。主イエス様を「私の主、私の王、私の救い主」と告白し続けることができるのはなんと感謝なことでしょうか。このお方にお仕えして歩み続けることは計り知れないほどの特権なのです。


実を結ぶ土壌

種まきのたとえにあるように、ある人々はみことばに全く反応せず、ある人々は一瞬だけ表面的な反応をし、ある人々はみことばを受け入れたかのように見えるのですがそれ以上に価値を置くものを見つけて離れて行きます。しかし、良い地の心を与えられた者は、自然に実を結ぶのです。

 

良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。(4:20)

 

三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶことは、農業の常識を越えた豊作です。これは人間業ではなく、神業による大豊作です。私たちはどのような実を結ぶでしょうか。

 

それは「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5:22-23)という「人格の実」であり、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり…」(ヨハネ15:16)という「証しの実」「伝道の実」でもあるでしょう。

 

繰り返しますが、これは人間業ではなく神ご自身の恵みの力、みことばそのものの力による実りです。だから、私たちは「こんな自分は実を結べるだろうか」と考えるより、「神のことばには力があり、必ず実を結ぶ」と信頼したいと思います。

 

みことばの影響力

この後のたとえは、みことばそのものの影響力を教えています。みことばによって「あかり」を与えられて目を開かれた人は、その光を周りに分かち合う生き方をするように変えられていきます。また、「量り」は、マタイなどの並行箇所を読むと「正しく裁くための識別力」を意味していると考えられます。注意深くみことばを聞いていく人は、そのような識別力を増していくことになります。そして、「知らないうちに実を結ぶ種」のたとえで、主は、みことばそのものに力があることを念押ししておられます。


実を結ばない“成長”もある

ところが、次の「からし種」のたとえは流れが違います。直訳では「神の国には、どのように比べたらよいでしょう」という言葉から始まります。からし種のたとえは、純粋なみことばが実を結ぶことのたとえではなく、田舎者ばかりの小さな集団として始まった教会が世界規模にまで拡張(肥大)することを示唆しています*2

 

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そして、やがて鳥が宿るようになる…。鳥は、直前の文脈ではサタンを指していましたので、ここでも同じような意味で用いられていると考えるのが良いでしょう。このたとえは、並行箇所で毒麦のたとえなどと共に語られています。


これはおそらく、巨大に発展したキリスト教界の中に「異端」「偽教師」たちなどが宿るということを、イエス様は教えられたのでしょう。これは、「ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。…不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。」(ユダの手紙4)と書かれているような人々です。

 

みことばを勝手に変え、混ぜ物をしたり割り引いたりするなら、このたとえのように「実り」はないのです。福音の本質をしっかりと教えないままにただ洗礼を勧めたり、特別な集会でことさら感情に訴えかけたりする“伝道”は、いわゆる“受洗者” “決心者” を生み出すかも知れませんが、その人たちと天国で会うことは本当にできるでしょうか。主は、教会がそのようにただ拡張、肥大することを願っておられません。私たちも、みことばによって真に生まれ変わる魂が一人、また一人と起こされていくことを心から願い、切に祈っていきたいと思います。

 

次のみことばをよく心に刻みましょう。

 

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(1ペテロ1:23-2:2)

 

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*1:ジョン・F・マッカーサー著『イエスの福音』より

*2:「御国は、迫害されたごく少数の人々から始まり、だんだん大衆に広がって行った。やがて、キリスト教を国教として保護する政府の数も増えていった。その成長は目覚ましいものだったが、健全なものではなかった。本当は回心していないのに、「王(主イエス)」に口先だけのお世辞を言う人々が、たくさん混じっていたからである。」(ウィリアム・マクドナルド)