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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

マルコ6章1-29節

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邪魔をする固定観念やプライド

主イエス様は弟子たちを連れて郷里のナザレに行かれます。ナザレの人々は、知恵にあふれた主の教えを聞き、主のなさった奇跡についての報告を耳にして驚きを覚えます。しかし、彼らはこう言いました。

 

この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。(6:3)

 

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ナザレの人々が主を拒絶したのは二度目です。人々は自分たちの固定観念を捨てることができませんでした。主は国中に知られた預言者、教師となっていましたが、彼らは「このイエスのことは昔から知っている」というプライドを捨てることができなかったのでしょう。

 

イエスは彼らの不信仰に驚かれた。…(6:6)


主イエス様が主語となって「驚く」という動詞が使われている箇所は多くありません。想定外の出来事にびっくなさったというよりは、あまりの不信仰に痛みと憤りを覚えられたということでしょう*1

 

教えを聞き、奇跡を間近に経験した彼らは、本来、彼らは何の疑いもなく信じるべきでした。しかし「敢えて信じようとしない」のです。私たちもそのような者たちであったかも知れませんが、今、使徒パウロとともに次のように告白したいと思います。

 

ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。(2コリント5:15)

 

自分たちの思い込みや決めつけによる勝手な「イエス像」ではなく、聖霊に導かれて聖書を正しく深く読む中で出会っていく主ご自身を信頼していきたいと思います。


この後、主は十二弟子を二人ずつ派遣されます。「二人ずつ」というのは、ユダヤ文化において証言者としての最小人数でした。最小限の持ち物しか携行させなかったのは、主がすべての必要を満たしてくださることを信頼するよう求められたということでしょう。

 

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神との平和だけが心に平安を与える


当時ガリラヤ地方を支配していたヘロデがあのバプテスマのヨハネを殺害した出来事がここに記録されています。全く自己中心な仕方でヨハネを殺害したヘロデは、良心に乏しい人物でしたがそれでも心が苛まれ、主イエス様の噂を聞いて恐れました。自己中心によって人々や状況を支配し、不安材料を排除していっても、神との平和を持たないならば心に平安はありません。

 

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。(ローマ5:1)

 

このように告白できることは何と幸いでしょうか!

 


Stuart Townend - Benediction (May the Peace of ...

 

*1:参照箇所「イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら…」(マルコ3:5)