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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

マルコ7章24節-8章10節

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異邦人女性のりっぱな信仰

 

ユダヤ人の指導者たちは、主イエス様を拒絶します。旧約の預言者たちを通して、再三メシヤ到来を告げられていたのに…です。そこで主は、異邦人の住む地方へとお出かけになりました。

 

おそらく弟子たちと時間を過ごしながら、より集中した訓練を行うためであったと考えられますが、しかし、ツロの地方で一人の異邦人女性が、汚れた霊に苦しめられている娘の癒しを求めて主のもとにやって来ました。主イエスは初め、素っ気ないように見える対応をなさいます*1

 

するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」(7:27)


その時点での主のご使命は「ユダヤ人のメシヤ」として現われることでした。ですから、子どもたちと子犬のたとえで、異邦人女性の申し出をやんわりと断っておられるのです。異邦人は時にユダヤ人から「犬」と呼ばれて侮蔑されていましたが、主が「子犬」と仰っていることには憐れみを感じます。

 

しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」(7:28)


「主よ、そのとおりです」と彼女は言いました。これは「主よ、私にはあなたによくしていただく資格も理由もありません」という告白です。

 

しかし、同時に彼女は主の憐れみに食い下がります。「私には恵みをいただく当然の資格などありません。しかし、食卓の下の子犬のようにおこぼれをいただくことはできないでしょうか」とへりくだって求めるのです。

 

そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に伏せっており、悪霊はもう出ていた。(7:29-30)

 

マタイの福音書では、主が「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」と仰ったことが記録されています。私たちの信仰、祈りも、彼女に倣うものでありたいと思います。

 

自分がいかに恵みにふさわしくないかを深く自覚しつつ、しかし、なお食い下がって「私のようなものを恵み深く扱っていただけないでしょうか」と願うのです。これこそが真の祈りであり、りっぱな信仰です。「恵まれて当然」「祈りに応えてもらって当たり前」という尊大な態度は間違っていますし、「どうせ私は恵まれない」「私なんかの祈りは聞かれない」とあきらめるのも間違っているのです。

 

イスラエルと異邦人


この後、主イエス様は、異邦人の地域で癒しを行い、再び大勢の群衆をパンと魚を増やす奇跡によって養われました。これは、ユダヤ人指導者たちが主を拒絶したことによる、異邦人たちへの「おこぼれ」です。このことは、今の私たちの救いにも関連します。

現代イスラエルの聖書的位置では、尋ねましょう。彼ら(イスラエル)がつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。…彼らは不信仰によって折られ、あなた(教会)は信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。(ローマ11:11, 20)


イスラエルと教会との関係は、非常に深いテーマで、現在の世界情勢や終末論を理解する上でも重要です。ある人々は「イスラエルは教会にとって変わられ、教会こそが霊的イスラエルである」と考えます。これを「置換神学」と言います。

 

しかし、これはこの異邦人女性の慎み深い態度とは異なります。ある説教者は、このような異邦人クリスチャンの態度を犬が食卓についているようなものだと言いました。私たちはおこぼれの恵みに感謝しつつ、神のご計画におけるイスラエルの占める位置を正しく認め、イスラエルの救いのために祈る必要があります。

 

以下の記事は非常に参考になりますので、ご参照ください。

現代イスラエルの聖書的位置 | ロゴス・ミニストリーのブログ

親イスラエルの聖書的根拠 | ロゴス・ミニストリーのブログ

 

 

聖書預言の旅

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ケース・フォー・イスラエル―中東紛争の誤解と真実

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*1:この出来事をマタイ15章はより詳細に書き記しています