読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第二サムエル7章

f:id:mentoringservant:20140903115039j:plain


王国を確立し、エルサレムのシオンの丘の王宮に住むようになったダビデはふと考えます。「私がこんな杉材で作った立派な家に住んでいるのに、神の箱はテント住まいだ。それは神様に申し訳ない。」

 

ダビデから相談を受けた預言者ナタンは、「いいですね!」とすぐに同意するのですが、その夜、主から「ちょっと待った!」とストップをかけられます。そして、主はナタンを通してダビデに、人の手で建てた神の家(神殿)よりももっと重要な「家」についての約束をお与えになるのです。


思いがけない預言

…さらに主はあなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を造る。』あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(7:11-16)


この箇所は「ダビデ契約」と呼ばれ、永遠に有効なものです。これはダビデ王朝が永遠に続くという約束です。サウル家は世襲をすることができませんでしたが、ダビデ家はそうではありません。ダビデが神殿を建てることは許されませんでしたが、息子ソロモンが神殿を建て、永遠の王座を確立します。

 

ソロモンもそうでしたし、その後の王たちもそうだったのですが、王が罪を犯したとき、主は懲らしめをお与えになります*1。しかし、それでも、ダビデ家系から王権を奪うことを永遠にしないという約束をなさっているのです。


ところが、この約束から数百年後には、ダビデ王家は分裂し、侵略を受け、捕囚を経験します。ダビデ家は、すっかり滅ぼされてしまった…ように見えます。「あれ?約束は無効になったのだろうか?」と私たちは思います。しかし、主は、ダビデ王の血筋の中からメシヤを誕生させてくださいました。主イエス様の母、マリヤに御使いが現われて語った言葉に注目してみましょう。

 

すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」(ルカ1:30-33)

 

主イエス様は、ダビデの子、ユダヤ人の王としてお生まれになりました。もし、あの時代のユダヤ人たちが、主イエス様を受け入れていたならば、その時すぐに神の国(メシヤ的王国)は実現したことでしょう。ところが、ユダヤ人たちはこの王を拒み、十字架に架けてしまいました。それによって、私たち異邦人に救いがもたらされました。

 

その後、ヤコブの家、すなわちイスラエルは、紀元70年にエルサレムが陥落したことを大きな境目に完全に滅び、ユダヤ人は世界中に離散してしまいます。やはり、ダビデ王朝は途絶えてしまったように…見えます。私たちは再び「あれ?やっぱり約束は無効?」と思ってしまいます。


ある人々は「神はイスラエル民族の代わりに、教会を『霊的なイスラエル』としてくださった」と考えます。彼らはイスラエルに教会が取って代わったと考え、イスラエルに対する永遠の契約を自分たちクリスチャンに直接当てはめようとします*2

 

果たして本当に聖書はそのようなことを教えているでしょうか。ダビデはこの箇所で「地上のどの国民があなたの民のよう、イスラエルのようでしょう。」(7:23)と告白しています。また、ローマ人への手紙には、イスラエルについて「神の賜物と召命とは変わることがありません。 」(11:28)と書かれています。イスラエル民族が特別に優秀だとか、罪を犯さないという話ではなく、神の恵みによる選びの話です。確かに、教会とイスラエルには共通する点もあるのですが、しかし、両者を混同してしまうなら、特に終末論に関する聖書理解が大きく歪んだものになってしまいます。


やがて主イエス様は、文字通りこの地上に再臨され、王座に着かれます。そして、この時にアブラハムやダビデを通して与えられたイスラエルに対する約束は成就します。これは、クリスチャンたちが心待ちにすべき、「神の国」「天の御国」「メシヤ的王国」「千年王国」です。これについては、また機会を改めて詳しく語ることにしましょう。

 


預言に対する応答


ダビデはこの預言を聞いてつぎのような反応をします。

 

ダビデ王は行って主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。神、主よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。これが人の定めでしょうか。(7:18-19)


神のご計画を本当に理解する時、その人は自分を取るに足らない者であると認め、「こんな私に対して、神はなんともったいない恵みをくださるのだろうか」と驚き感謝し、神ご自身の前にひれ伏します。そして、神を賛美し(7:22)、「おっしゃる通りにしてください」と約束の成就を求めて祈るようになります(7:25)。

 

イスラエルの神、万軍の主よ。あなたは、このしもべの耳にはっきり、『わたしが、あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得たのです。(7:27)


神のご計画をはっきりと理解するとき、私たちは「祈る勇気」を得ます。みことばをはっきりと理解し、神様が私たちの将来についてどのようなご計画を持っておられるかをよく知る時、私たちの祈りは力をもってくるのです。

 

※聖書的世界観に関するおすすめ記事(動画含む)

※置換神学の問題点についてのおすすめ記事

※上の写真は、エルサレムにある「ダビデの塔」

 

 

聖書預言の旅

聖書預言の旅

 

 

 

*1:第一歴代誌17:10-15の並行箇所では、ダビデの子が罪を犯すという記述がない。この箇所は、第二サムエルの箇所よりも、よりメシヤに焦点を当てていると理解することができる。

*2:これは、置換神学(Replacement Theology)という考えで多くの人々に影響を与え、反ユダヤ主義の思想的裏付けにもなっている。この置換神学の立場をとる人々の中では、「ユダヤ人とギリシヤ人(異邦人)との区別はありません」(ローマ10:12, ガラテヤ3:28, コロサイ3:11など)といった御言葉が文脈を無視して用いられるが、これは、イエス・キリストにあって“教会の中”では民族的区別がないという意味であり、神の歴史の中でイスラエルの役割が失われたことを意味しない。ローマ11章などをしっかりと理解し、神が現代においてもイスラエル民族に対するご自身のご計画を進めておられることを覚える必要がある。