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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第二サムエル18章

第二サムエル記

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ダビデは自らの陣営を三分割して三人の指揮官に委ねます。ひとりはダビデの年上の甥でもあったヨアブ将軍、もうひとりはその兄弟アビシャイ、さらにもうひとりはあの「あなたと“いたい”」と言ってダビデについて来たガテ人イタイです。

 

ダビデ自身も先頭に立って戦いたかったのですが、民はそれを止めます。ダビデは以前、戦いに出て行くべき時に王宮に留まり、結果として姦淫と殺人の罪を犯しました。しかし、敢えて戦いの最前線に出るべきではない時もあるのです。ダビデは民の勧めを受け止め、前線に出ることを思いとどまりました。

 

王の言いつけ

 

王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じて言った。「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」民はみな、王が隊長たち全部にアブシャロムのことについて命じているのを聞いていた。こうして、民はイスラエルを迎え撃つために戦場へ出て行った。戦いはエフライムので行なわれた。(18:5-6)

 

ダビデは、謀反を起こして自分の命を狙っている息子アブシャロムをゆるやかに扱うよう命じます。やはり、ダビデはどんな状況であってもアブシャロムに対する愛を捨て切ることはできませんでした。


アブシャロムの率いるイスラエル軍はまだまだ未熟で、森の中での難しい戦いに戸惑ったようです。聖書学者たちの中には、彼らが森の中での戦いには不向きな軍馬を用いたために自滅したと考える人々が多くいます。なんとその日だけで二万人が倒れたというのです。一方のダビデ軍は、もともと野武士やゴロツキだった者たちの集まりですからゲリラ戦は大得意です。

 

アブシャロムはダビデの家来たちに出会った。アブシャロムは騾馬に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。(18:9)


みなさん、覚えていますか。アブシャロムは並外れて髪が多かったのです。おそらくその結んだ髪が木にひっかかって宙づりになってしまったのでしょう。それを見たひとりの男がいましたが、彼は王の命令を思い出してアブシャロムに手をかけることを踏みとどまります。しかし、その男から報告を聞いたヨアブ将軍は、勝手な判断でアブシャロムの心臓を槍で突き殺してしまうのです。

 

ヨアブは確かにダビデに貢献し、ダビデを守る役割も果たしました。しかし、彼自身の野心や復讐心で勝手な暴走をし、多くの悲劇を引き起こしてもいます。時には正義感さえも過ちを招きます。私たちは、主君であるイエス様に対してどのようなしもべでしょうか。勝手な判断で行動するのではなく、主の言いつけを心に留める者でありたいと願います。

 

人生の目的

 

人々はアブシャロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石くれの山を積み上げた。イスラエルはみな、おのおの自分の天幕に逃げ帰っていた。(18:17)

 

なんとも悲しい話です。石くれの山は墓石ではなく「あんな男が復活することのないように」という、人々からの軽蔑と呪いの表現です。一方、アブシャロム自身は存命中に自分のための記念碑を建てていました。しかし、それが一体何になるでしょうか。記念碑、勲章、地位、名誉、権力など、これらのものが必ずしも悪いわけではないでしょう。しかし、彼はただひたすらにそれらを求めた結果、大切な信仰、いのち、家族のすべてを犠牲にしてしまったのです。私たちはいったい何のために生きたら良いでしょうか。何を人生の目的とし、どんなことに人生を捧げ、命を捧げることが幸いでしょうか。

 

いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。(マルコ8:35-37)

 

この後、ダビデのもとに伝令*1が走り、アブシャロムの死が伝えられます。

 

父の愛、父の涙

 

すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」(18:33)

 

父親に対して剣を向け、父親の妻たちを辱め、父に代わって王であると宣言し、自業自得とも言える死を遂げた息子のために、ダビデは激しく泣き、彼を我が子と呼んで「自分が身代わりに死ねば良かった」と語るのです。なんという父の愛でしょうか。


私たちは、私たちと父なる神との間で、これ以上のことが起こっていることを覚える必要があります父なる神に刃を向け、父なる神を辱め、父なる神に取って代わろうとし、罪の支払う報酬である永遠の滅びを身に受けるはずだった私たちのため、神は涙を流し、御子の身代わりの犠牲を与え、「我が子」と呼んでくださるのです。これほどの愛がどこにあるでしょうか。

 

正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:7-8)

 

『父の涙』36分59秒頃から、曲解説と歌が始まります。


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*1:伝令のクシュ人は、今のエチオピア人。おそらく相当なマラソンランナーだっただろう。アヒマアツは近道をして先に着く。彼は、少しでもダビデのショックを和らげる手助けをしたいと思ったのかもしれない。