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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ルカ1章24-56節

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御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(1:28)

 

マリヤが何か特別に立派な人物だったということではなく、この出来事は神からの一方的な「恵み」によって起こりました。イエス・キリストを救い主として信じ、主と告白しながら歩む人は皆、「おめでとう、恵まれた方、主があなたとともにいる」という人生を送るのです。

 

 考えること

 

しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。(1:29)

 

あまりも当然なので戸惑うのは当然です。しかし、マリヤの良いところは「考え込んだ」というところです。彼女は他の場面でも、思いめぐらし、考える人であったと記録されています。聖書を読みながら、私たちもマリヤと同じように戸惑うことがあります。でも、そのような時、みことばから目を背けるのではなく、みことばを「考える」人になりたいと思います。


そのマリヤに対して天使ガブリエルは、彼女が男の子を生むこと、イエスと名付けるべきこと、その子が神の子であり、メシヤであり、やがて来る王国の王であることを告げました。またまたビックリです。

 

問いかけること

 

そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」(1:34)


これは疑いや不信仰の表明ではありません。むしろ、「どのようにしたらそれが可能になるのですか?」という問いかけであり、よく理解するための質問です。マリヤは考えるだけではなく、教えを請う人でした。「神様、どうか教えてください」と求めるのです。すると天使は、その出来事が聖霊の力によってなされることを告げます。これは処女降誕の予告であり、だからこそ、生まれるお方は聖なる者*1、神の子と呼ばれるます。「神にとって不可能なことは一つもありません」と、最後に天使は宣言しました。私たちが「もっと教えてください」と心から祈り求めながら聖書を学ぶとき、神様はより詳しく、力強くご自身の御心を私たちに示してくださいます。

 

信頼すること、行動に移すこと

 

マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。(1:38)


マリヤは、考え、問いかけ、そして、最終的には信頼しました。どんなに深く考え、問いかけ、聖書知識を蓄えても、みことばに信頼しないならば、その信仰には力がありません。そして、マリヤは立ち上がって、あのバプテスマのヨハネをみごもっているエリサベツに会いに行きます。マリヤは信頼し、それを行動に移したのです。


みことばを考え、問いかけ、信頼し、行動に移す。神に選ばれた「恵まれた人」である私たちも、そのような生き方へと招かれているのです。そして、平凡な少女が神の力によって非凡な生涯を送ったように、不可能が可能になる人生を送ることができるのです。

 


親戚のエリサベツがマリヤを迎えた際には、エリサベツの子、すなわちバプテスマのヨハネが胎内で喜び踊りました。エリサベツはマリヤに対してこう言います。

 

「あなたは女の中の祝福された方。…私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。」(1:42-43)


エリサベツは「親戚の娘」という見方ではなく、「祝福された方」「主の母」としてマリヤを見たのです。私たちも相手を「主にあって見る」という視点を持つことが大切です。


この後、マリヤは有名な「マリヤの賛歌(マグニフィカート)」を歌います。聖霊に満たされ、みことばに満たされる人は「詩と賛美と霊の歌」(エペソ5:19, コロサイ3:16)を歌います。マリヤは先ず第一に、主が自分にしてくださったことを覚えて感謝と賛美を捧げ、次に、将来に用意されている祝福ゆえに賛美をしています。さらに彼女は、神ご自身の聖さ、約束への誠実さなどのご性質のゆえに賛美を捧げています。

 

 

*1:「聖」とは「区別された」という意味。