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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ルカ2章22-40節

ルカ

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聖書に基づく家庭形成

ベツレヘムの家畜小屋にお生まれになった主は、八日目に割礼を受け、「イエス」と名付けられました。それから約5週間後、両親に連れられてエルサレムに行かれます。

 

この箇所を見ると「律法」ということばが繰り返し出て来ます*1。ここから、ヨセフとマリヤが忠実に律法を守っていたことが分かります。しかもそれは、単に形式的に戒律を守るとか、それを行っていることを誇りにして他の人を見下すというような態度ではありませんでした。


モーセを通して与えられた律法は、モーセの時代から主イエスが十字架に架かられるまでのユダヤ人に適用される掟です。ですから、律法に書かれている儀式の行い方、道徳、行政の方法などは、教会の時代を生きている私たちに対して適用されるべきではありません。

 

しかし、私たちはこの夫婦の姿から、みことばの教えに忠実に基づいた家庭形成に努める模範的な姿を見ることができます。私たちも例えば、エペソ5:22-6:4、コロサイ3:18-21などを注意深く理解し、主の喜ばれる家庭形成に励みたいと思います。分からないことや迷うことも多いでしょう。しかし、あなたがそれを求め、主に頼っていくならば、主は喜んで教え、助け導いてくださいます。

 

参考リンク

 

神からのビジョンに生きる敬虔な老人

 

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。(2:25)


ここに出てくるシメオンも、やはり律法を心から喜んで忠実に守る人でした。福音書記者たちは、パリサイ人や律法学者などの宗教家たちを「正しい、敬虔な人」とは描写しません。彼らは確かに表面上は律法を守っていましたが、内面は神ご自身に向いていなかったのです。シメオンの内面は違いました。彼は自分の心地よさや願望を第一にするのではなく、「イスラエルの慰められることを待ち望んで」いたのです。彼は高齢でしたがビジョンを持ち、敬虔に歩んでいたのです。この後でてくる老齢の女預言者アンナもそうです。

 

私たちはどうでしょうか。彼らのようにみことばを喜んで守ろうとする敬虔な歩みをしているでしょうか。また、自分の小さな願望がかなえられること以上に、この日本が救い主を知って真に慰められることを心から願っているでしょうか。そのように願い、そのように生きる人は、悔いのない生涯を送り、その終わりにはこのように言うでしょう。

 

「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。」(2:29)


シメオンは、主イエス様の生涯について預言を語りました。しかし、そこには十字架の受難を思わせる内容も含まれていました。「剣が…心さえも刺し抜く」とは、マリヤが自分の息子の十字架の死を目撃することを示唆しています。

 

主の幼少期にあった神の恵み

 

幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。(2:40)

 

主は、両親の守りが必要な赤ん坊として生まれ、幼子として学び、徐々に成長されました。「神の恵みがその上にあった」とは、神ご自身であられる主イエス様が成長するために神の恵みが必要だったということでしょうか。

 

むしろ、私たちは御子の幼少期の歩み一つ一つが、十字架の死を目指した歩みであったことを覚える必要があります。主の幼少期にあった「神の恵み」とは、ご自身の御子を十字架にかけてまで罪人を救おうとなさった「私たちに対する神の恵み」であることを覚えたいと思います。

 

神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。(1:5-7)

 

 

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*1:この一連の記述をルカは次のように結んでいる。「さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。」(2:39)