道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ルカ4章1-30節

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悪魔に立ち向かいなさい

有名な「荒野の誘惑」の箇所です。悪魔(サタン)とその手下である悪霊は実在の存在であり、現代の私たちをも誘惑します。6節のことばに対して、主が「嘘をつくな!」と反論しておられないことからも、サタンが強大な力を持っていることは間違いありません。

 

もちろん、私たちが「石をパンに変えろ」といった特殊な誘惑を受けることはないでしょうが、しかし、主イエス様がどのように悪魔の誘惑に打ち勝たれたかを見るとき、私たちも悪しき力に対処する秘訣を知ることができます。


三つの誘惑に共通するのは「神を疑わせる」という方向性です。神への疑いが、実がすべての混乱、崩壊の始まりです。主は旧約聖書を引用して、サタンの誘惑を退けました。どんな方法であれ、サタンは常に私たちを神ご自身から引き離そう働いています。私たちもみことばに頼ることを通して神に頼り、疑いの誘惑を退けたいと思います。

 

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコブ4:7)

 

…神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31)


キリストについての真の知識


13-14節の間には、ヨハネの福音書2-5章だけに記録されている主イエス様の約1年間のお働きがありました。その後、主はご自身が少年・青年期をお過ごしになったナザレに戻られ、安息日の会堂でご自身が旧約預言の成就そのものであることを宣言されました。主が朗読されたイザヤ書の巻物にはこうありました。

 

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」(4:18-4:19)

 

メシアの地上における中心的お働きは「福音を伝えること」でした。この福音の力が、霊的な束縛、盲目、不自由を解決し、貧しい私たちを恵みの中を生きる幸いへと招くのです。

 

イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。(4:21-22)

 

主のことばに感銘を受け、心を揺さぶられながらも、「ヨセフの子」という固定観念から離れることができなかった人々の姿が記されています。また、彼らは「ナザレでも奇跡を起こせ」と、主が「何かしてくれること」を期待し、それが適わないと分かるとその場で主を殺そうとまでしました。


主ご自身が語られるみことばが、私たちに真の知識を与えます。それがなければ、人間は自分の考える範囲内での神を思い描き、その神を自分の欲望のために利用しようとします。それは「偶像」です。このようにして偶像を造り出した人々は、聖書が正しく解き明かされ、真の福音が告げられるときに激しく反発をします。これは残念ながら、クリスチャンと称する人々の中にも見られる現実です。

 

実は、私たちも以前はそのような者でした。しかし、主イエス様に捕らえられた今は違います。これからはもっともっと変わっていくでしょう。

 

あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(コロサイ3:7-10)