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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ルカ7章18-35節

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今日は、投獄されていたバプテスマのヨハネと主イエス様とのやりとりから「つまずかない者は幸い」ということについて考えてみましょう。あるときバプテスマのヨハネは、彼の弟子たちを通して主イエス様についての報告を聞きました。

 

直接尋ねる者はつまずかない

 

すると、ヨハネは、弟子の中からふたりを呼び寄せて、主のもとに送り、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか」と言わせた。(7:19)


おいでになるはずの方とは言うまでもなく「メシヤ」のことです。ヨハネはメシヤの道備えをする預言者でした。みなさん、思い出してください。彼は以前すでにこう宣言していました。

 

彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」(1:7-8)

 

しかし、苦しい獄中生活が続く中で不安を覚えたのかも知れません。それで「本当にあなたなのでしょうか」と彼は尋ねるのです。私たちも「イエス様こそが救い主、主である」という結論を持っていても、時には不安になることがあります。

 

そのような時、自分の中にある疑いや不安を放置することなく、バプテスマのヨハネがしたように主ご自身に尋ねたいと思います*1。「主よ、もっとはっきりとした確信をもってあなたを信じられるように助けてください。あなたのことをもっと詳しく、正しく教えてください」と切に祈り求めたいと思います。


みことばで確認する者はつまずかない

ヨハネのもとからやってきた使いの者たちに対して、主は次のようにお答えになりました。


そして、答えてこう言われた。「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。」(7:22)


主は直接的に「私がメシヤですよ」と語る代わりに旧約聖書の預言を示されました。それらの預言はまさに主ご自身の上に成就していました(21節)。そして、「わたしにつまずかない者は幸いです」とおっしゃいました。自分の信仰をみことばで確認する人はつまずきを免れ、幸いな信仰者となるでしょう。

 

日本の教会において、洗礼を受けた人々が教会に留まり続ける平均年数が二年半〜三年であるという話を聞いたことがあります。様々な事情や理由が挙げられるかもしれませんが、大きな原因として考慮されるべきことは、教会の中でみことばが十分に、正しく教えられていないということです。


「私は昔、洗礼を受けましたが今は教会に行っていません」という人と話してみると、聖書の神がどんなお方であるか、罪が何であるか、福音が何であるかを驚くほど知らないことが多いのです。なぜ洗礼を受けのかと理由を尋ねてみると「尊敬していた牧師に勧められたから」とか「恋愛相手が信者だったので、結婚する“ために”受洗した」といった答えが返ってくる場合が少なくありません。残念ながら、洗礼前の聖書の学びもほとんど全くなかったという人々も多くいます。


そのような方々を非難するために書いているのではありません。私は自戒を込めて、みことばを教えるべき指導者の責任を思わされています。そして、その方々がまだ真に主イエス様への信仰に導かれていないなら、速やかに悔い改めと救いが与えられるよう祈ります。また、救われているけれども確信が揺らいでいるなら、みことばが与えられて信仰が強められるよう心から祈ります。

 

あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。(詩篇119:65)


思い通りにいかなくてもつまずかない

主イエス様は、バプテスマのヨハネについてこう評されました。

 

「あなたがたに言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。」(7:28)


彼は獄中で信仰を全うしました。私たちが彼の立場なら、こう思ってもおかしくないのではないでしょうか。「もし、イエスが来るべき約束のメシヤなら、どうして今すぐ私を助け出してくださらないのだろうか」と…。しかし、彼は思い通りの状況でなくともつまずくことをせず、神に従い続けました


私たちは自分たちの願いが叶うと「わあ、感謝だ。やっぱり神様はおられるね!」と言います。反対に、物事が思い通りにいかないと「なんだよ!神様は全然助けてくれないじゃないか!」と憤ったります。それは、31-34節に書かれている人々の姿と重なります*2

 

しかし、神の存在を証明し、正しさを証明するのは「願いごとの実現」ではありません。「“神が私たちに従う”こと」によってではなく、「“私たちが神に従う”こと」を通して神の正しさが証明されることを覚えたいと思います。

 

「ヨハネの教えを聞いたすべての民は、取税人たちさえ、ヨハネのバプテスマを受けて、神の正しいことを認めたのです。…知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します。」(7:29,35)

 

 

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*1:人間関係における「つまずき」も、憶測や決めつけを脇において直接尋ねることによって大部分が解決可能であろう。

*2:当時の子どもたちは葬式ごっこや結婚式ごっこをよくした。「せっかく“ごっこ遊び”に誘っても加わってくれないなんてヒドイじゃないか!」と友達に対して不満を言っているこどもと同じように、私たちは神に対して「私たちの思い通りに動いてくれないなんてヒドイじゃないか!」と不満を言うのである。