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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ルカ10章1-24節

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ルカ10章から「収穫のための働き手」について学びましょう。まずは、収穫の場であるこの世界がどんな世界かを確認したいと思います。

 

この世界はどんな世界か?


①創造された世界

 

初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)

 


②所有されている世界

 

地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。(詩篇24:1)

 


③悪に支配されている世界

 

さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。(ルカ10:3)

 


④愛されている世界

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

 


⑤働き手を待っている世界

 

そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。(ルカ10:2)

 

「…目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」(ヨハネ4:35b)

 


「働き手」として歩むための6つのステップ

 

①派遣される

その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。(ルカ10:1)

 

「ご自分が行くつもりの町や村へ」とあるように、弟子たちはイエス様の代理人として遣わされました。後にパウロは「私たちはキリストの使節」(2コリント5:20)と記しましたが、英語の聖書では「Christ’s ambassadors」と訳されています。これは「大使」という意味であり、王であるイエス様が治める王国の大使・代理人として、非常に大きな権限・権威を帯びて送り出さたという意味です。

 

この箇所で遣わされたのは弟子たちですが、主は私たちをもこの世界に遣わしてくださっています。そして、これから見る幾つかの原則は、現代を生きる私たちが「収穫のための働き手」として生きるために、十分適用可能な内容です。

 

 

②遣わされた“家”の平安と祝福を祈る

財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。(ルカ10:4-5)

 

これはイエス様の時代のユダヤ独特の「強調表現」で、文字通り財布を持たないで裸足で出かけることを奨励している訳ではありません。これは、余計なことにかまけていないで最優先すべき働きがあるという意味で、それは「平安と祝福を祈ること」です。


ここでの「平安」ということばは、「エイレーネイ」と言って「安全、調和、喜び、繁栄、祝福」などの意味を含むことばです。我々もどこへ行ってもまず真っ先にこのことを祈りたいと思います。このようなことを祈られて嫌な人はいません。会社、学校、親戚の集まり、友達の家、電車の車内、ショッピングセンター、コンサート会場、仮設住宅などなどで、声に出さずに心の中で祈っても良いし、チャンスがあれば声に出して祈るのも良いでしょう。「あなたのために祈ってもいいかな」と言って祈ってあげることには本当に力があります。

 

 

③平安の子を見いだす

もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。(ルカ10:6)

 

行く先々で祝福と平安を祈っている時、その祈りに喜びをもって反応する人、祈りの応えを神様から受け取って感謝する人々が起こされます。

 


④生活を共有する

その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町に入っても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。(ルカ10:7-8)

 

私たちが与えられた使命を果たそうとするとき、神様は必要な糧を与えてくださいます。ユダヤの文化の中では旅人をもてなすことが大切にされており、2日間は家の主人が食事と宿泊を提供し、もしも滞在が3日目以上になったら家の仕事を手伝ってもらうというルールがありました。弟子たちは人々の家に泊めてもらい、その家の手伝いをし、会話をしたり、一緒に汗をかいたり、笑ったり、食事をしたりして生活を共有しました。それは福音を届ける上での関係作りになったことでしょう。

 


⑤切実なニーズに応える

そして、その町の病人を直し…(ルカ10:9a)

 

彼らの究極的なニーズはイエス・キリストを信じることによる救いですが、しかし、その家、その町が“感じている切実なニーズ”に手を差し伸べることも大切です。私たちは全能ではないので、すべてのニーズを満たすことはできませんが、しかし、ニーズに対して何らかのレスポンス(応答)をすることはできます。それは話を聴くことかもしれないし、その問題の解決のために出来ることをする、また、祈ることかも知れません。

 


⑥福音を告げる

…彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた』と言いなさい。(10:9b)


人々の“感じているニーズ”にいくら応えても、もし、福音を告げることがなければ「いい人」で終わってしまいます。それは「収穫のための働き手」としては不十分な働きです。弟子たちは、ユダヤ人たちに神の国の到来、すなわちメシヤの到来を宣言しました。

 

私たちも、イエス・キリストというお方に救いがあることを宣言するのです。もちろん、その宣言の内容や裏付けを詳しく説明できることが望ましいし、一人一人がそうできるようになっていきたいのですが、まずは手始めに「宣言」するのです。

 

「あなたを創った神様がいるよ」「すべては偶然ではない。すべてを導いている神様がいる」「実は、あなたの人生の答えは聖書にあるよ!」などなどの宣言も良いでしょう。神様はそこに豊かに働いてくださいます。

 

イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました*1確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそり*2を踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(10:18-20)

 

*1:この言葉をどのように理解するかは様々な節があるが、主イエス様が将来確実に実現するサタンの敗北をもうすでにはっきりとご覧になっておられ、それを既に起こったこととして宣言なさっていると理解するのが良いだろう。

*2:敵対者を表す比喩表現