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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ルカ17章11-37節

ルカ

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主は、十人のツァラアトに冒された人を癒されました。しかし、十人の内、主に感謝を伝えに戻って来たのは、一人のサマリヤ人だけでした。恵みを受けている人々は多いのですが、それゆえに神をあがめるという人はあまりにも少ないのです。

 

さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(17:20-21)


ここで主が「あなたがたのただ中」と仰っている意味は、信じる者の「心の中」といった意味ではありません。「あなたたちが取り囲んでいるメシヤ、私が神の国をもたらす存在なのだ」という宣言をしておられるのです。


しかし、主は彼らがそれを受け入れないのをご存知でした。そして、十字架の予告(25節)、さらには “人の子の日” と呼ばれる「再臨」についての教え(23-24, 26-37)をなさいます。ノアの時代、ロトの時代の人々が将来について無頓着だったのと同様に、現代を生きる多くの人々は「終末」について無関心であり、今目の前にあることにだけ心を向けています。

 

しかし、やがて「ひとりは取られ、他のひとりは残される」という日(携挙、空中再臨)がやってきます。


これについては、『レフトビハインド』という映画が話題になっています。これは、聖書を題材にした近未来小説が基になった作品です。ハリウッド映画であるゆえに本質的な部分よりも、特殊効果を駆使したパニック映像がメインになっているという批判がありますが、「携挙」という出来事を真正面から取り上げている点では評価できるでしょう(日本公開未定)。

 

「レフトビハインド」とは「取り残される」という意味ですが、私たちが「取り残されない」という信仰の確信を抱き、同時に「取り残されてほしくない」という思いで、周囲の人々に福音の証しをしていくことができることを祈ります。

 

<お勧め動画>

現代が「ノアの時代」と共通する状況である事がよく分かります。

ノアの洪水(日本語字幕) | Noah Movie (Japanese Subtitles) - YouTube