道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第一列王9章

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「神の御心実現」か?「自己実現」か?

列王記は、ユダヤ人たちの伝承では預言者エレミヤが記したと言われて来ましたが、現代の聖書学者たちは「無名の預言者」の筆によるものであると考えています。預言者は、聖霊に導かれて次のように注意深く記しています。

 

「ソロモンが、主の宮と王宮、およびソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成したとき…」(9:1)

「ソロモンの所有のすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々、ソロモンがエルサレムや、レバノンや、すべての領地に建てたいと切に願っていたものを建設した。」(9:19)

 

ソロモンは、神ご自身の願いを切に求めていたのでしょうか、それとも自分自身の願いの実現を求めたのでしょうか。神の御心実現を願うか、それとも、自己実現を願うかということは私たちにとっても大きな問いです。


主はソロモンに現われてお語りになりました。

 

「あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正しさをもって、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない』と言って約束したとおり、あなたの王国の王座をイスラエルの上に永遠に確立しよう。」(9:4-5)


言い換えると「神の御心実現を切に求めるなら、王国は祝福される」という約束です。そして、6節以下には警告が記されています。その内容は「自己実現を求めるなら、イスラエルの国は断たれ、神殿は投げ捨てられて廃墟となり、民は物笑いと侮辱の的となる」というものでした。

 

残念ながらソロモン以下、イスラエルの民は、神との約束に生きるのではなく、警告通りの歩みをしてしまいます。この預言が、誰も王国の衰退など予想だにしていない絶頂期に与えられていたことは驚くべきことです。私たちは未来のすべてを見通しておられる主に対する畏れをもって、御心実現を求めていきたいと思います。


さて、ソロモンはツロの王ヒラムにガリラヤ地方の町々を与えました。それは、ヒラムからレバノン杉をはじめとする建築資材の提供を受けたお礼でした。ところが、ヒラムはガリラヤの田舎を見ても気に入らず、その地方を「カブル(無きに等しい)」と呼んだようです。

 

しかし、私たちは知っています。この無きに等しい地が、私たちの主イエス・キリストが幼少期を過ごし、お働きをなさる麗しき場所となったことを…。神は、人の目から見て「無きに等しい」と思われるような存在、場所をさえお用いになることができるお方です。私たちは決めつけをしてはならないのです。

 

ソロモンの建築ラッシュがまだ続いています。そのプロジェクトのために、彼はカナン人たちを奴隷として取り立てて苦役につかせました。しかし、彼らは本来、イスラエルから排除されるべき存在でした。それなのにソロモンは、利用価値があるからといって彼らを取り込んだのでした。

 

また、彼が祭壇で香をたいたことが記されていますが、これは彼の指示で祭司が香をたいたとも読めますし、彼自身が本来祭司でない者がすべきでない行為を自分で行ったとも読めます。そして、彼は異教徒であるヒラムと組んで海洋貿易ビジネスを始めるのですが、これも果たして御心実現のためであったでしょうか。それとも彼は自己実現の魔力に取り付かれてしまったのでしょうか。