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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第一列王11章

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前の章には、ソロモンが戦いには全く役に立たない金の盾をいつくも造らせたことや、律法*1に反して多くの軍馬を手に入れたことが記されていました。そして、11章ではさらに決定的なことが起り、ソロモンの絶対的な安定統治が崩れます。

 

「王国の存続は外見ではなく、内側の霊的な状態に懸かっていた。」(ロンドン大学・アッシリア学名誉教授、ドナルド・ワイズマン博士)

 

ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる*2と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。(11:1-3)


前王ダビデには15人の妻がいました。その息子であるソロモンは、雑婚を禁じられていたカナン人の女性たちを大勢迎え入れました。おそらくこれは国力拡大のための政略結婚でした。また、父親が姦淫の罪を犯したように、息子ソロモンも情欲に関して弱さを持っていたようです。残念ながら悪い遺産、性質、習慣が継承されています。私たちは皆それぞれに弱さ、愚かさ、歪みを抱えていますが、「悪い遺産以上に良き遺産を継承させてください」と主の助けを祈りたいと思います。

 

ソロモンはおそらく一度に七百人と結婚した訳ではないでしょう。一人また一人、そのうちにまとめて十人、そして、五十人と徐々にエスカレートをしていったのではないでしょうか。私たちの生活の中にも、少しずつ妥協し、徐々に心と生活を占めていっている“偶像”はないでしょうか。「その妻たちが彼の心を転じた」とあるように、彼は徐々に神から離れていきます。

 

ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。…ソロモンは、主の目の前に悪を行い、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。(11:4,6)


具体的には、ソロモンは妻たちが持ち込んだ様々な偶像礼拝を取り入れ、そのための「高き所」をエルサレムの東に築きました。

 

主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。(11:9-10)


ソロモンは事前に警告されていたにも関わらず、それを無視しました。それに対して神は怒りを発せられます。私たちの信じる主が「怒る神」であることを覚えたいと思います。神は感情のないお方ではないし、いつもただニコニコしているお爺さんのような存在ではありません。神は聖なるお方、正義の神、罪に対して怒りを燃やすお方です。


「神の怒り」にしっかりと心を留めること無くして、真の意味で「神は愛です」「神は赦してくださる」という福音のメッセージを理解することはできません。私たち全員が聖なる主を軽んじ、主の絶対的命令を捨て去り、主ではない偽りの神々との間で不倫をし、それでも「何が悪いんだ?」と平気な顔をして生きてきました。これを読んでいる「あなた」はまさにそのような罪人です


そんな私たちに対して、当然神は怒りを燃やされますしかし、憐れみ深い神は、その怒りを私たちに下す代わりわりに、御子イエス様に下されたのです。この御子を信じることによって、私たちは赦されるはずのない罪を赦され、神の怒りを免れるのです。神の愛、神の赦しは、安っぽい感傷的なものではありません。


この後、反逆者が次々に怒ります。「敵対する者」(14節)は、「サタン」という言葉です。これらの反逆、敵対は、神ご自身の御手から離れた所で怒っている訳ではありません。サタンは、神の許可と制約の中でしか働くことができません。

 

サタンが「してやったり!」と思っていても、実は、神がサタンの想像を遥かに越えた壮大なご計画の中で、サタンの働きすら用いることをなさっているのです。神はここで、神とご自身のみことばを背を向けることの大きな代償を王とイスラエルの民に味わわせ、私たちに大きな教訓を与えておられます。


私たちの生涯に「これはサタンの働きだ」と思わずにはいられない災いが起るとき、それでもなお、神の御手がすべてを支配しておられることを思い起こしましょう。そして、神が教えようとしておられることに心を向けたいと思います。


サタンが働く最中にあっても、神の憐れみと恵みは決して絶えません。「ダビデに免じて…」とありますが、私たちは「キリストに免じて」決して滅ぼされることも、見捨てられることもないのです。

 

*1:申命記17:16

*2:申命記7:1-4