道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

受難週

受難週の黙想のため、『カルバリの道』という小さな本を引っ張り出して読んでいます。20世紀はじめの英国に生まれた伝道者の書いたもの。勉強のための読書も大事だと思っているけれど、今週は心を探られながら、祈りながら読もうと思っています。

 

…キリスト者としての自分の生活を正直にかえりみると、この自我が私たち一人ひとりの中にいかに多いかに気がつきます。キリスト者としての生活をしようと努力するのさえ、多くの場合、自我なのです。「しようとする」という言葉を使うこと自体、すでに責任は自分にあるという自我の表れです。また主のための奉仕さえ、自我でなされていることがよくあります。短気、ねたみ、怒り、心配などを起こすのは、いつも自我です。人に対してがんこで不従順な態度をとるのも自我の表れです。また、内気、自意識過剰、遠慮なども自我が形を変えて表れたものにほかなりません。私たちが砕かれなければならないのは当然ではないでしょうか。…くだくことは神のみわざですが、砕かれということは私たちの側でなすべきことです。神が罪を示されるとき、私たちはそれを素直に認め、受け入れなければなりません。(ロイ・ヘッション著『カルバリの道』)

 

カルバリの道

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カルバリの愛を知っていますか

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  • 作者: エミーカーマイケル,Amy Carmichael,棚瀬多喜雄
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  • 発売日: 2004/07
  • メディア: 単行本
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