道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

使徒の働き4章

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ペテロ、ヨハネが説教をしているところに、ユダヤ人宗教指導者たちがやって来ました。当時の指導者の中心を占めていたのは「サドカイ派」でした。彼らはユダヤ社会の貴族階級でしたが、天使の存在や復活を信じない人々です。

 

ですから、「ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て」(2節)たのです。主イエスは以前、そんなサドカイ人たちに対してこう語っておられます。

 

「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。」(マタイ22:29)

 

いわゆる「キリスト教界」の中にさえ、「復活とは、キリストが人々の心の中で生き続けたという意味だ」とか「弟子たちが集団幻覚を見たのだ」といった説を唱える人々が存在します。彼らは、主イエスの時代のサドカイ人と同じ「合理主義者」です。私自身、そのような立場つ立つ何人もの人々(その中には “牧師” “神学校教師” とされている人々も含まれる)と議論してきました。合理主義者はいつも「聖書<人間の理性」という立場に立ちます。

 

主イエスの復活を歴史的事実として信じないことはとんでもない誤りであり、思い違いであり、本来のキリスト教信仰からの逸脱です。そのような立場に立つなら、聖書を本当の意味で理解することも、神の力を実際に体験することもできないでしょう。真の信仰者は「聖書>自分の理性」という謙遜さを持ちながら、与えられた理性・霊性を最大限に用いて、聖書が本当に何を語っているかを理解し、聖書から教えられたことに素直に服従するのです。

 

ペテロとヨハネはこのサドカイ人たちに捕らえられて留置所に入れられました。しかし、「みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどに」(4節)なりました。翌日、気持ちに収まりのつかない宗教指導者たちが集まり、使徒たちを尋問します。そこでペテロは聖霊に満たされ、足が不自由な人が癒されたのは「あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名による」(10節)と宣言しました。

 

この方(主イエス)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。(4:12-13)

 

ペテロとヨハネは、正式なラビ神学校を出ていませんから、学歴のある指導者たちからは「無学」とみなされていました。しかし、彼らは主イエスから直接に弟子訓練を受けており、しかも、唯一の救いである主イエスの十字架と復活を目の当たりにしており、さらに、聖霊に満たされていたのです。彼らの大胆さはそこから出ていました。

 

ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(4:19-20)

 

宗教指導者たちは、この二人を脅した上で釈放するしかありませんでした。

 

主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。(4:29-33)

 

帰って来た二人を迎えた仲間達は、心を一つにして祈りました。それは、迫害の中でもみことばを大胆に語ることができるようにという祈りと、みことばを裏付ける奇跡を行うことができるようにという祈りでした。

 

神様は彼らをご自身の聖霊で満たし、具体的な愛の行動にあふれた交わり、大胆な教えと伝道に生きることができるよう導かれました。ある人々は、聖霊の満たしを宗教的な興奮や快感と混同します。また、一度きりの聖霊のバプテスマ何度でも起こる聖霊の満たしとの混同もよくあります。本来、聖霊の満たしは、すでに聖霊のバプテスマを受けて信徒となった人々の日々の具体的な歩みを力づけ、導き、主に喜ばれるものとするものです。

 

聖霊によるバプテスマとは何ですか?

どうしたら、聖霊に満たされますか?

 

ここで教会は「信じた者の群れ*1と記されています。教会という群れを一つに束ねるのは、カリスマ的な指導者ではなく、人間的な好き嫌いでもなく、伝統や習慣やプログラムや建物でもありません。教会をひとつにするのは、主イエスに対する正しい理解であり、主イエスに対する生きた信仰です。水のバプテスマを受けて入会が認められるのは「誰でも」ではありません。他教会からの転入の際にも、洗礼の有無ではなく信仰の有無を問うべきです。健全な信仰の有無を確認した上での入会は、本人にとっても、教会にとっても、何よりも神ご自身から見て、真に喜ばしいものとなります。

 

 

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*1:バプテスト教会の歴史的信仰告白、第二ロンドン信仰告白(第26章「教会について」)には次のようにあります。「全世界を通じて福音の信仰を告白し、それに従ってキリストにより神に服従し、その基礎を覆すような過誤や不潔な生活によって自らの告白を無にしないすべての人は(Ⅰコリ 1:2; 使徒 11:26)、見える聖徒であり、そう呼ばれ(ロマ 1:7; エペソ1:20-22)、すべての各個教会はこれらの人々によって成立されるべきである。」

 

第二ロンドン信仰告白 | 東京聖書教会 Tokyo Bible Church