道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

使徒の働き6-7章

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初代教会は多くの人々に福音を伝え、急成長していきます。しかし、その結果生じる雑多な課題にも対処しなければなりません。財産を共有して食糧配給を行う中で、トラブルが起こったのです。

 

祈りとみことばを後回しに“しない”決断

リーダーとして主ご自身から任命されていた十二使徒は決断を迫られます。

 

そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」(6:2-4)

 

使徒たちは「祈りとみことばの奉仕」に専念する決断をしました。そして、使徒たちを補佐してくれる①霊性、②知性、③対人関係において成熟している七人を選出し、教会運営の実際的な働きを担ってもらうことを考えました。それを教会全体が承認し、使徒たちの権威のもとで任命が行われました。

 

指導者の「祈りとみことばの奉仕」が後回しにされるなら、教会はいずれ弱体化します。使徒たちはそれをいち早く見抜き、的確な選択をしたのです。

 

こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。(6:7)

 

ただ単に人数が増えたのではなく「神のことば」が広がったのです。観客や興味本位の人々が増えたのではなく「弟子」が増え、主イエスに敵対していた「祭司」たちさえも信仰に導かれるようになったというのは驚異的です。

 

ステパノの殉教

この後、選ばれた七人の中のステパノがすばらしい証しをしますが、敵対者に捕らえられて議会に突き出されます。

 

議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。(6:15)

 

彼は大祭司や議員たちの前で堂々と説教をします。それは、イスラエルの歴史に働かれた神ご自身について証しし、その上で、当時の人々がその神(の律法)に従っていないという罪を指摘するものでした。聞いていた人々は怒り心頭で歯ぎしりをします。

 

しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。(7:55-58)

 

このステパノの大胆さ、神々しさは、彼が主イエスご自身に目を向け続けていたからであると分かります。「証ししなきゃ」「伝道すべきなんだろうけど…でも、難しい」と私たちは考えやすいのですが、まずその前に、私たち自身が主イエスを知り、主イエスを鮮やかに見ることが先です。

 

ステパノは天を「見つめ」、主イエスを「見て」、その上で「見なさい」と人々に語ったのです。私たちは、どれぐらい天を見つめ、どれぐらい主イエスを鮮やかに見ているでしょうか。主を知ること、主を見ることを求めて祈りながら、一緒にみことばを学んでいきましょう。

 

さて、ここにはサウロ、後のパウロがいました。彼はこの出来事を見ながら何を想っていたのでしょうか。おそらく、この時点では百パーセント「正義」を行っているつもりだったでしょう。私たち人間は残念ながら、百パーセント御心に敵対しながらも「私は正義を行っているのだ」と思い込むことができてしまう愚かさを持っています。

 

だからこそ「主よ、本当にこれで良いでしょうか」とお尋ねしながら、いつもみことばの前に謙遜になって主の御声に耳を傾ける者でありたいと思います。

 

こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。(7:59-60)

 

まるで十字架上の主イエスを思わせるような最期です。ここでステパノが、主イエスの十字架の出来事を思っていなかったはずがありません。十字架、葬り、復活が現実であり、それによってもたらされた永遠の救いが確実なものであることを確信していたからこそ、彼はこのような姿で天に召されていったのでしょう。

 

ヘブル人への手紙の著者が語るように、私たちひとりひとりも主イエスから目を離さず、主の十字架について考えを巡らし、そこから力を得て歩みたいと思います。

 

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(ヘブル12:2-3)

 

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