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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

使徒の働き8章

使徒の働き

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最悪の状況を通してさえ…

ステパノの死と迫害による離散という最悪とも思える状況を通してさえ、神様はご自身の善いご計画を進めてくださいます。思い出してください。復活直後の主イエスは、弟子たちにこう語っておられました。

 

「…聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(1:8)

 

それを聞いた当時の使徒たちはピンと来ていなかったでしょう。しかし、主イエスの語られたとおり、福音は徐々に広がっていきます。迫害された信徒たちは各地に散らされますが、行く先々でみことばを語ることをやめませんでした。

 

私たちが歴史の一時点を切り取り、また、現実の一側面を切り取って「もうダメだ」「最悪だ」と考えてしまいます。しかし、神の偉大なるご計画は、すべての歴史を貫いています。私たちの目に見える現実を超えているのです。

 

さて、「伝道者」「宣教者」とも呼ばれるようになったピリポは、サマリヤ地方への伝道を行います。このピリポは、十二使徒のピリポとは別人で、6章に出てくる「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人」の中の一人です。彼の伝道によって、サマリヤの人々はもちろん、彼らを霊的に惑わしていた魔術師シモンまでが救われます。

 

使徒たちの権威、御言葉の権威

ユダヤ人とサマリヤ人は敵対関係にありました。それで、ユダヤ人クリスチャンは、サマリヤ人が主イエスを信じたということについて「本当に?」と違和感を覚えました。もし、本当ならば、今後はサマリヤ人とも主イエスにあって兄弟姉妹ということになります。これは大ごとでした。ですから、調査団が派遣されます。

 

さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。(8:14)

 

この使徒の働きの時代は、十字架と復活によって新しい恵みの時代に入っているものの、聖書がまだ完成されていない特殊な状況です。この時期には、使徒たちが特別に重い権威を持っていることが分かります。使徒たちの代表として派遣されたペテロとヨハネは、おそらくサマリヤ人たちに福音をより明確に語り、彼らが聖霊による確信をもって福音を受け入れられるよう導いたと思われます*1

 

使徒たちは、元魔術師シモンが未熟な信仰ゆえに「賜物を買いたいです」と申し出た際、非常に厳しく叱責します。シモンは素直に悔い改めました。もし、現代の教会指導者が、このような権威ある口調で信徒を叱責したならどうでしょうか。「あなたは滅びるがよい」などと言ったら大変な問題です。なぜなら、現代において、神は特定の個人に対して、使徒たちに与えられたような権威を委ねてはおられないからです。しかし、私たちがわきまえなければならないことは、個人にではなく聖書に権威があるということです。

 

聖書は私たちの心をなんとなく慰めたり、なんとなく元気づけるような自己啓発本ではありません。聖書はしばしば私たちに対して激しく迫り、心を刺し通します。もし、皆さんが聖書を読んで心を突き刺されるような思いを味わっていないなら、それはどこか読み方が間違っているのです。おそらく私たちが聖書の上に立って、自分の意に沿うところだけを取捨選択して受け取ってしまっているのです。

 

聖書がはっきりと罪と言っていることは罪であるし、聖書が宣言していることは必ず成就する…。自分は神の御言葉の前で本当に小さく、低い者である…。そのことをしっかりと受け止め、御言葉の権威の前で素直に悔い改める私たちでありたいと思います。そこに真の平安と自由があります。

 

福音のために走る

さて、伝道者ピリポは、御使いに促されてガザへと下る道に出て、エチオピア女王の宦官と出会います。彼は、ユダヤ教に改宗していたエチオピア人であると思われます。馬車に乗りながら熱心にイザヤ書を読んでいました(乗り物酔いをしないのか…などと余計なことを心配してしまいますが)。ピリポは、馬車に追いつくぐらいの猛ダッシュをし、宦官に声をかけます。

 

そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。(8:30-31)

 

宦官の読んでいたのはイザヤ53章の「苦難のしもべ」の箇所でした。ピリポは、この箇所が十字架にかかられて主イエスを指していることを教え、彼に福音を告げます。宦官が明確な救いへと導かれ、バプテスマを受けました。

 

皆さんの信仰生活を振り返るとき、皆さんのもとへ駆けつけて近づき、一緒に歩みながら、福音を語ってくれた誰かがいるのではないでしょうか。聖書を読んでもなかなかわからない時、手ほどきをしてくれた誰かがいませんでしたか。それらの人々は、ピリポのように神ご自身から遣わされた人たちでした。彼らの存在に感謝しつつ、私たちは「私を誰かのために遣わしてください」と祈りたいと思います。

 

遣わされるためには準備が必要です。ですから私たちの教会では、御霊と知恵に満ちた評判の良い人を育成するための訓練に力を入れています。福音のために走る人たちが一人でも多く生み出され、素晴らしい福音がこの時代の日本にも広がっていきますように!

 

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」(ローマ10:13-15)

 

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 クリスチャンでない方々が疑問に思う点について、明快に答えてくれています。

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*1:「使徒の働き」においては、信じた後に聖霊を受けたのか、聖霊を受けてから信じたのか、順序に混乱があるようにも見受けられる。ただし、これは、聖書が完成する前の特殊な状況下であること、また、「使徒の働き」が歴史の記録であるゆえ、必ずしも救いの論理的構造を示す目的で書かれていないことなどを踏まえて理解すべきである。