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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第二歴代誌1-3章

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王となったソロモンが真っ先に神に求めたものは何だったでしょうか。

 

「今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」(1:9)

 

識別力を求めよ、さらば他のものも与えられん

 

彼が求めたのは知恵と知識です。これは、単に物知りであるとか頭の回転が良いということではなく、「神を畏れながら、物事を神がご覧になっている視点で見る」ことができる力のことです。洞察力、識別力と言っても良いでしょう。

 

ヘブル人への手紙5章14節を見ると、「経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人」が成熟したおとなの信仰者であると分かります。

 

良い物と悪い物を見分ける感覚というのは、悪いと思われているものの中にも良いものを見いだすことができ、良いと思われているものの中にも邪悪なものが在ることを見抜く力です。ソロモンは他のものではなく、それを求めたわけですから、すでにこの時点で相当の識別が備わっていたように見受けられます。

 

神はソロモンに仰せられた。「そのようなことがあなたの心にあり、あなたが富をも、財宝をも、誉れをも、あなたを憎む者たちのいのちをも求めず、さらに長寿をも求めず、むしろ、わたしがあなたを立ててわたしの民の王とした、その民をさばくことができるようにと、自分のために知恵と知識を求めたので、その知恵と知識とはあなたのものとなった。そのうえ、わたしはあなたの前の、また後の王たちにもないほどの富と財宝と誉れとをあなたに与えよう。」(1:11-12)

 

最良のものを求めるなら、その他の良いものも添えて与えられます。主イエスも「神の国とその義」を第一に求めるなら、必要なものが添えて与えられることを教えられました。

 

偉大な神にふさわしい、壮大な神殿を!

 

さて、いよいよ念願の神殿建設です。

 

私が建てる宮は壮大な宮です。私たちの神は、すべての神々にまさって偉大な神だからです。(2:5)

 

ソロモンは、偉大な神のために壮大な宮を建てます。9節には「みごとなもの」とあります。偉大な神に粗末なもの、間に合わせのものは似合わないからです。この「壮大」と訳されているのは、数や大きさにおいて偉大だという意味でも用いられますし、重要性において偉大だという意味でも用いられる言葉です(英語ではgreat)。

 

主の御名のために行うプロジェクト、制作物、イベント、そして、教会形成そのものは、主の偉大さを表現する「Great」を目指したいと思います。主の御名のための働きの質が、人の名誉や富のためになされる働きの質に劣っていているのを見て「まーしょーがないっしょ」と思うべきでしょうか。ソロモンならきっと「悔しい!」と思うはずです。

 

いろいろな教会を訪ねた際に、その質の高い働きに感銘を受けたことも多々あります。しかし、事前に練習をしているとは思えない聖歌隊、斜めに印刷された週報、清掃が行き届いおらず乱雑に物が置いてある会堂、思いっきり茶渋のついた湯飲みなどなどを見て、残念に思ったことも少なくありません。何よりも残念だったのは、そこにいる人々に「より良くしよう」という心が感じられなかったことです。

 

教会の働きの多くがボランティア的なものであり、いわゆるプロによるものではありません。私たちの教会もそうです。完璧ではないし、不十分な点もまだまだあります。しかし、私はいつも、妥協なく「向上心」「追求心」をもって献身的に仕えている方々の存在を目にしています。それには大いに感動を覚え、励まされます。

 

何者でもない、一人の礼拝者としての姿勢

 

さらにソロモンは続けます。

 

天も、天の天も主をお入れできないのに、いったいだれが主のために宮を建てる力を持っているというのでしょうか。また、主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者でしょう。ただ主の前に香をたくためだけの者です。(2:5-6)

 

壮大な神殿を立てるソロモンですが、その壮大さに酔って自分を誇ることはしません。自分にはそもそも力などなく、何者でもなく、ただ一人の礼拝者に過ぎないと認めているのです。これも重要な視点です。私たちがプロ意識をもって徹底的に良いものを捧げても、それを自らの手柄として過度に誇るならば本末転倒になってしまうのです。

 

歌声、演奏、絵画、料理、大工仕事、ITの知識、事務処理能力、教えること、カウンセリングをすること、リーダーシップ、などなど、私たちは様々な賜物を用いて主にお仕えし、教会を建て上げていきます。それらの賜物をこだわりをもって磨き続け、常にその時できる最高のものを捧げていきましょう。偉大な神を表現するために、偉大なものを作ろうではありませんか。

 

それと同時に「私は一人の礼拝者に過ぎない」という謙遜さをいつも学び続けていきたいと思います。

 

主がご自身の力をもって建てられる!

 

神殿建設のプロジェクトは紀元前966年の春にスタートし、7年半の歳月を要しました。王の宮殿にも用いられない「金」が多く用いられたのは、神の栄光の表現であると考えられます。

 

「ヤキン」「ボアズ」と名づけられた二本の柱は、「彼は設立する」「力をもって」という意味です。神殿を建てたのはソロモンである以上に神ご自身である…という信仰告白が込められているように思われます。

 

主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。(詩篇127:1)

 

教会を建てるのも主ご自身です。主は私たちクリスチャンを用いてくださいますし、私たちはそれに応えてベストを尽くしたいと思います。しかし、それでもいつも「主が建てられるのだ。ご自身の力をもって」ということを忘れてはなりません。

 

…わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。(マタイ16:18)

 

 

※ ソロモンの箴言などが「現代語訳」になっています。

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