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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第二歴代誌24-26章

第二歴代誌

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一人の王の生涯の中に、神に対して従順な面と不従順な面が混在している姿が見受けられます。

 

ヨアシュは、祭司エホヤダの生きている間は、主の目にかなうことを行なった。(24:2)

 

エホヤダ*1のような霊的指導者が目を光らせている間は神に従うが、その見張りや後ろ盾がなくなると途端に神から離れてしまう…。これは、この当時の王によく見られた特徴でした。そして、このことは今でもよく起こり得ることです*2

 

ウジヤ王もそうでした。

 

彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた。(26:5)

 

このような生き方をたどった人々の多くに共通することして、十分な準備期間を経ないまま若くして王になったということが挙げられるかもしれません。

 

このように考えると、ダビデがこれでもかというほどの試練を経てから王になったことの意味が見えてきます。

 

主が大いにお用いになる人物は、主によってまず砕かれ、自身が何者でもない存在であることを思い知らされるのでしょう。

 

初代教会の礎を築いたペテロも大きな過ちを犯し、その後に用いられました。パウロも教会の迫害者、反逆者として歩んでいたところから救われ、最初は誰からも相手にされないところからスタートしました。

 

あなたも今、試練、困難を味わっておられるかもしれません。神はそれらを、あなたを用いるための訓練として役立てることがおできになります。

 

もちろん、「この苦しみを取り除けてください」と祈って良いのですが、それと同時に「この試練の中で学ぶべきことを学ばせてください。私を訓練し真の従順を教えてください。私をあなたの器として整えてください」と祈る者でもありたいと思います。

 

 

*1:エホヤダは130歳で死んだと書かれているが、創世記6:3には「人の齢は百二十年にしよう」とある。これはどういうことか、という質問を受けたのでここに記しておく。まず、創世記6:3は、人間の年齢の限界が120歳と定められたということを語っているわけではなく、大洪水によるさばきまでの期間を語っている。

 

ただし、その後、ノアが120年かけて箱舟を建造したと読む人々が少なくないが、それは単純な誤り。洪水の時、ノアは600歳であったが(創7:6,11)、もし、その120年前に指示を受けて箱舟建造を始めたとすると480歳でプロジェクトを開始したことになる。しかし、箱舟に関する指示は、彼が500歳以降に生まれた三人の息子(5:32)の結婚後のこと(6:14)。おそらく箱舟建造の期間は、数十年と見るのが良いだろう。(参考:『神の救済史的経綸の中から見る創世記の系図』朴潤植著)

 

詩篇90:10には「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」ともある。

 

*2:従順には次のような段階があると言えるだろう。①不従順、②言われた時には従うという従順、③言われたことを常に守り続けるという従順、④言われたことを守り続け、他の人にも教えるという従順。