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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ローマ人への手紙5章(1)

ローマ

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神との平和こそが平和

 

パウロは、義と認められることの幸いを次のように宣言します。

 

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。(5:1)

 

 「私たちは神との平和を持っている!」「私は神との平和を持っている!」という宣言こそ、私たちクリスチャンが日々味わい、語り伝えなければならないものです。

 

昨今は「我々はこのような重武装をしているから平和だ」「これこれの同盟を強化すれば平和だ」とか、また「我々はこのような憲法を持っているから平和だ」とか、そういった声が喧しいのですが、しかし、私は、キリスト者が最も声を高くして宣言すべきことは「キリストによる神との平和」であるということを繰り返し強調したいと思います。*1心から戦争がないことを心から願いつつ、真の平和は「神との平和」であることを覚え続けましょう。

 

終末的な希望からくる喜び

 

またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。(5:2)

 

信仰義認とよく言われますが、しかし、パウロはそれが恵みによるものであることを語り、しかも、その恵みの中に導いてくださったのはキリストであることを語ります。信仰とは、私たち自身の内側から発生した信念、信心、敬虔さなどではなく、授かったものなのです。さて、そのような信仰を授かった私たちは、神の栄光を望んで大いに喜ぶようになります。

 

真の信仰には喜びが伴います。状況が良いから喜ぶとか、人に褒められたから喜ぶというのは一般的なことですが、信仰による喜びはそれらのものとは種類が異なります。ここで喜びと訳されている語は「誇り」とも訳せる言葉です。そして、この喜び・誇りは「神の栄光を望む」ことによるものなのです。


これは詳しくいうと、私たちがやがて主イエスが再臨される際に「栄化」(完成)されることに対する希望です。私たちはその時に、完全に罪のない、苦しみや悲しみもない、キリストに似た姿へと変えられ、栄光あふれる復活の体をいただいて永遠に生きるようにされます。クリスチャンの喜びと誇りの源泉は、この栄化が約束されていることにあります。

 

次の3-5節はよく知られている箇所ですが、今読んだ2節との関連で語られることは多くありません。残念ながら、「忍耐」「希望」をヒューマニズム的なもの(この世的な希望)と置き換えて教える人々が少なくないのです。しかし、ここで言われている希望は明らかに「終末的な希望(栄化を見据えた希望)」です。

 

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(5:3-5)

 

終末的な希望に基づく喜びや誇りを抱いて生きる人は、患難にあってもその喜びを抱き続けます*2。その人は、そこで忍耐する力を得て、人格的にも成長し、さらに大きな希望を抱くようになります。そのような人物の抱く希望は失われることがなく、内に住まわれる聖霊が豊かに働かれることによって、神の愛がどのような状況の中でも実感をもって「心」に注がれていることを覚えるようになるのです*3

 

明らかにされた神の愛

 

さて、神の愛とはなんでしょうか。

 

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(5:6-8)

 

 

良い人、尊敬すべき人、大切な人のために命を捨てることもとても難しいことです。しかし、キリストはご自身(と父なる神)に敵対する罪人のために命を投げ出されました。ここにはっきりと愛が示されています。「愛の証拠を見せてみろ」と誰かが言うなら、主イエスは釘の跡のあるご自身の手足を示して「これはあなたに突き刺されるべき釘を私が代わりに受けた時のものです」とおっしゃるでしょう。

 

パウロは、このキリストの十字架の血によって我々に義がもたらされ、神の怒りからの救いが与えられると教えます(9節)。この「血」「神の怒り」といった聖書の中心テーマは、確かに一般的な日本人の感覚では分かりにくいものです。だからこそ、日本人に聖書を教えるには「唯一の神がいること」「神が世界を創造されたこと」「神が聖書を通して啓示を与えておられること」などを段階的に説明しなければなりません。

 

しかし、理解されにくいからといって「血」「神の怒り」といったテーマを避け続け、このような重要な内容を語らないならば、それは消極的な仕方で「異なった福音」「偽りの福音」を説いていることになります。キリストの血を語らず、神の怒りを語らず、「あなたは高価で尊い」「あなたは愛されています」と語るならば、それは聖書のキリスト教ではなく、キリスト教の装いをしたヒューマニズム教です。

 

終末が近づくにつれて、キリスト教界はそのような様相を帯びていくと聖書は警告しています。私自身、そのような警告を重く受け止め、聖書の福音をまっすぐに語る者でありたいと心から願います。

 

…私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。(5:11)

 

このような大きな喜びは、真に福音に出会ったときに呼び起こされるものです。ヒューマニズム的なメッセージも確かに束の間の心地よさや幾分か高い“セルフイメージ”を提供してくれるかもしれませんが、それは福音の与えるものではありません。信仰による喜びは、何よりも神ご自身を喜ぶものなのです。

 

なんという素晴らしい神の愛、神の福音、神の御子イエスによる平和でしょうか。これを味わい続け、これを信頼し続け、これを基に生き、これを証しする者として歩ませていただきたいものです。

 

 ※ 20世紀最大の伝道者、ビリー・グラハムによる十字架のメッセージ!


The Cross by ビリー・グラハム My Hope for America - YouTube

 

 

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*1:もちろん、一定の武力や同盟関係の必要性を否定するものではないし、平和を基調とした憲法を尊重すべきであることは言うまでもない。

*2:「患難さえ」と訳されているが、「患難の中でも」と読むほうがより良い。

*3:信仰が未成熟な段階では、神の愛が実際に注がれていても、なかなかそれを心で実感していない場合がある。