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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

エズラ記9-10章

エズラ記

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神の計画に挑戦する罪

 

エズラのもとに非常に残念な報告が届けられ、彼は大きなショックを受けます。それは、エルサレムに帰還して数十年を経たイスラエルの民、祭司やレビ人たちが、律法で禁じられている異教徒との結婚をしていたのです。しかも、その罪を率先して行った張本人は民族の指導的な人々でした。

 

私(エズラ)はこのことを聞いて、着物と上着を裂き、髪の毛とひげを引き抜き、色を失ってすわってしまった。(9:3)

 

 旧約聖書の時代、神はイエスラエルの民に対して「雑婚」を禁じられました。念のため言いますが、これは現代の国際結婚とは全く異なるものです。イスラエルは、神の人類救済のご計画の中で、特別に選ばれて聖なる国民とされ(区別)ました。神はこの民を通じてご自身のことばを啓示し、この民を通してメシヤを与え、この民を通して全世界を祝福するご計画を立てられました。これを妨げることは、全民族の救いの道を閉ざすことにもつながります

 

エズラを通して律法(聖書)の権威が回復されると、それまで問題にされなかったような罪がおのずと明らかになってきます。あなたの心と生活の中で聖書の地位が高くなるなら、あなたは自分の罪を深く悲しまずにはいられなくなります。

 

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。(ヘブル4:12-13)

 

エズラはとんでもない罪を犯した人々をただ責めるのではなく、これらの罪を自分自身のこととして受け止め、率先して悲しみます。自分が直接犯した罪ではないのにも関わわらず、率先して罪を悔いる祈りを捧げたのです。そして、勇気をもって民族の聖めに取り組みました。悔い改めた人々は異教徒の妻を離縁をします。残酷なように思えるかも知れませんが、上でも述べたように、雑婚はそれほどの罪だったのです。

 

悔い改めの先に望みがある

 

そのとき、エラムの子孫のひとりエヒエルの子シェカヌヤが、エズラに答えて言った。「私たちは、私たちの神に対して不信の罪を犯し、この地の民である外国の女をめとりました。しかし、このことについては、イスラエルに、今なお望みがあります。今、私たちは、私たちの神に契約を結び、主の勧告と、私たちの神の命令を恐れる人々の勧告に従って、これらの妻たちと、その子どもたちをみな、追い出しましょう。律法に従ってこれを行ないましょう。立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」そこで、エズラは立ち上がり、祭司や、レビ人や、全イスラエルのつかさたちに、この提案を実行するように誓わせたので、彼らは誓った。(10:2-5)

 

私たちはこの出来事の表面を人間的にとらえて「離縁などせずに赦してやればいいのに」と言うべきではありません。シェカヌヤという人は「今なお望みがあります」と言いましたが、罪人にとっての唯一の望みは、神の御前で悔い改めて赦しを受け取ることです。神に対する罪は、良い行いで挽回することも、時間が解決することも、誤魔化し通すこともあり得ません。

 

神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。…ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。(詩篇51:1-7)

 

深刻な罪を犯したダビデが回復させられたのも、自分自身の罪を認め、神の御前で悔い改め、赦しを求めたからです。エズラはイスラエルの罪を他人事としてではなく自分のことして悲しみ、率先して悔い改めました。

 

エズラは神の宮の前を去って、エルヤシブの子ヨハナンの部屋に行き、パンも食べず、水も飲まずにそこで夜を過ごした。捕囚から帰って来た人々の不信の罪を嘆き悲しんでいたからである。(10:6)

 

神は彼らに憐れみをかけられます。これは、以前ソロモンを通して与えられていた予言の成就とも言えるでしょう。

 

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。(2歴代誌7:14)

 

 あなたは今日、悔い改めを迫られていることはありませんか。神の前に罪を認め、赦しを請うべきことがないでしょうか。生活の中で具体的に変えるべき部分、直すべき態度がないでしょうか。「一つもない」という人はいないはずです。私たちが主の前に砕かれた心を持って進みでるとき、主は憐れみ深く私たちを扱ってくださり、私たちを赦し、いやし、変えてくださいます。