道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ネヘミヤ記4章

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ネヘミヤが取り組んだプロジェクトは、神ご自身の計画でした。神のご計画は、その途中にどんな困難があっても最終的に神がご自身の手で成し遂げられます。

 

もう一度、思い巡らしましょう。

 

「神ご自身が何をしておられるかをよく見て、それに参加しなさい。それは「私のプランとビジョンを祝福してください」と祈り求めるよりもずっと良いことである。私たちは自分の周りをよく見渡して、神ご自身が進めておられるプランとビジョンを見いだし、その実現に関わるべきなのだ。」 (ヘンリー・ブラッカベリー著『神を体験する』より)

 

ビジョン実現を妨げる抵抗

 

何かを始めるのは簡単ですが、抵抗があると途中で投げ出してしまうことも多いものです。まず、大前提として「抵抗は必ず起こるもの」と思っておくことが必要です。モーセの出エジプトも、ダビデも、預言者たちも、みな抵抗に遭ったのです。イエス様は、いつでもすべてのひとを喜ばせたでしょうか。いや、イエス様ほど抵抗に遭ったお方はいません。

 

3章ではすでに、工事に協力しない人々がいたことを見ました。4章では、2章に登場したサヌバラテらが工事に対して怒り、あざけり、批判をします。

 

サヌバラテは私たちが城壁を修復していることを聞くと、怒り、また非常に憤慨してユダヤ人たちをあざけった。彼はその同胞と、サマリヤの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか。」彼のそばにいたアモン人トビヤもまた、「彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう。」と言った。(4:1-3)

 

このようなあざけりや脅しは力強いもので、人々の心を動かします。「哀れなユダヤ人」と言われると、本当にそうである気がしてくるのです。

 

そのとき、ユダの人々は言った。「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。」(4:10)

 

ユダの中に悲観論が出始めました。抵抗に遭うと、私たちのものの見方は「もう無理だ」「どうせダメだ」と、つい後ろ向きになってしまうのです。

 

さらにサヌバラテ、トビヤ、周辺国の人々は、エルサレムへ攻め込んで混乱を起こそうと陰謀を企てます。彼らの目には、強いエルサレムが復興することが周辺地域のパワーバランスを変えてしまう大きな脅威に映ったのです。

 

「自分たちに能力があるかどうか」「できるかどうか」「全員が賛成してくれるかどうか」が問題ではありません。本当にそれが神からのビジョンであるかどうかが重要です。このような激しい抵抗があったとしても、それが本当に神からのビジョンであるなら、働きを止めてはならないのです。戦わなければなりません。

 

ただし、その戦い方はこの世的な方法ではなく、聖書的な方法であるべきです。では、それはどんな方法でしょうか。ネヘミヤの姿から学ぶことができます。

 

 

同じ土俵に乗らず、祈る

 

悪口やあざけりの言葉が来たときに、同じ土俵に立って議論をしないことはとても重要です。ネヘミヤは言い返すのではなく祈りました。

 

 「お聞きください、私たちの神。私たちは軽蔑されています。彼らのそしりを彼らの頭に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。彼らの咎を赦すことなく、彼らの罪を御前からぬぐい去らないでください。彼らは建て直す者たちを侮辱したからです。」(4:4-5)

 

ネヘミヤは神に聞いていただいた上で、すぐに働きに戻ります。抵抗する人々のあざけりを思い巡らしたり、彼らに対抗する陰謀を考えたりすることはしませんでした。

 

 

仲間と自分を励ます

 

こうして、私たちは城壁を建て直し、城壁はみな、その高さの半分まで継ぎ合わされた。民に働く気があったからである。(4:6)

 

それにしても、どうやってこの「働く気」を維持し、進み続けることができたのでしょうか。鍵は、ネヘミヤの励ましに満ちたリーダーシップにあったことでしょう。彼は四方八方から執拗に攻撃に遭いながらも、民を励ましました。

 

私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」(4:14)

 

ネヘミヤは「批判を恐れるな!恐るべき大いなる神があなたと共にいる!あなたの使命を忘れるな!」と語り続けたのです。これを語りながら、彼は自分自身の魂にも言い聞かせていたことでしょう。

 

 

主導権を取り戻す

 

多くの場合、抵抗勢力は私たちの生活や働きのペースをかき乱すします。時間とエネルギーをすっかり奪われたり、 目の前にいないときにもその相手のことを考えてしまったり、眠れなくなったり…。これは、生活と働きの「主導権」を失ってしまっている状態です。私も何度も経験があります。

 

しかし、ネヘミヤは「相手がどうであれ、自分はここに立つ!一時的に揺さぶられることがあっても、ちゃんと本来の立ち位置に戻る…」という生き方をしていました。

 

私たちの敵が、彼らのたくらみは私たちに悟られ、神がそれを打ちこわされたということを聞いたとき、私たちはみな、城壁に帰り、それぞれ自分の工事に戻った。(4:15)

 

もし、あなたの心が何かでかき乱されているなら、意図的に日常のリズムを取り戻しましょう。心乱れたままで構わないので、朝は思い切って少し早く起き上がり、聖書を開き、声に出して読み、祈りましょう。健康に良い食事を取り、深呼吸をし、身体を動かしましょう。日曜日は礼拝に集って賛美をささげ、御言葉を聞きましょう。トラブルや悩み、あなたを邪魔したいと思っている誰から、人生の主導権を取り戻すのです。

 

 

警戒は怠らない

 

半分が工事を続け、半分は戦いのための装備をしています。また、17節では片手で仕事をし、片手で槍を堅く握っていた人々の姿が記されています。

 

もし、私たちが忠実なキリストの弟子であるなら、建て上げること戦うことの両方がクリスチャン生活の当たり前の一部となっているはずである。(米国の講解説教者、ウォーレン・ウィアーズビー)

 

ネヘミヤは、敵と言い争ったり、自ら攻め込んだりはせず、淡々と働きを進めました。しかし、敵の妨害に対して無防備であったわけではありません。22-23節を見ると見張りが配置されていますが、私たちも目を覚まし、神の働きを妨げようとするサタンの仕業を見張っていなければなりません。私たちは常に祈りを張り巡らし、一つ一つのことを御言葉で吟味するという方法でサタンの働きを警戒します。

 

 

主への信頼を告白する

 

私たち信仰者の拠り所はここです。

 

「どこででも、あなたがたが角笛の鳴るのを聞いたら、私たちのところに集まって来なさい。私たちの神が私たちのために戦ってくださるのだ。」(4:20)

 

さあ、ネヘミヤとともに主への信頼を告白し、あなたに与えられている働きを進めましょう。

 

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(1コリント15:58)