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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ネヘミヤ記13章(1)

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ネヘミヤは、彼が祖国に帰還することを許してくれたアルタシャスタ王のもとにしばらく戻りました。不在期間は1-2年でしたが、一体何が起こったでしょうか。それは民の信仰の後退でした。この13章を見ると、復興・再建の格闘に終わりはないということがよく分かります。この地上における私たちの信仰の戦いも同じです。

 

その間、私はエルサレムにいなかった。私は、バビロンの王アルタシャスタの三十二年に、王のところに行き、その後しばらくたって、王にいとまを請い、エルサレムに帰って来たからである。そのとき、エルヤシブがトビヤのために行なった、すなわち、神の宮の庭にある一つの部屋を彼にあてがったことに気づいた。(13:6-7)

 

後退する力との格闘

信仰生活において「バックスライド」という言葉がしばしば用いられます。信仰的なスランプ、信仰が後退してしまうような状態です。ネヘミヤの不在中に、イスラエルの民の多くがバックスライドしてしまったわけです。その原因となった物事を見ながら、信仰の後退とどのように戦うべきかを学びましょう。

 

 

①リーダーシップの問題

 

これより以前、私たちの神の宮の部屋を任されていた祭司エルヤシブは、トビヤと親しい関係にあったので、トビヤのために大きな部屋を一つあてがった。その部屋にはかつて、穀物のささげ物、乳香、器物、および、レビ人や歌うたいや門衛たちのために定められていた穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一、および祭司のための奉納物が保管されていた。(13:4-5)

 

エルヤシブは大祭司であり、非常に影響力のある人物でした。城壁再建の際には率先して働きに加わり、良い模範を示しました。しかし、彼がネヘミヤの留守中に勝手なことをしていたのです。それは、信仰共同体に戦いを挑み、妨害工作をしていたトビヤに便宜を図ったということです。

 

愛の使徒と呼ばれたヨハネですが、手紙の中で、偽りの教えによって教会を混乱させるような人々に対しては以下のような態度をとるよう教えています。

 

あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。そういう人にあいさつすれば、その悪い行ないをともにすることになります。(2ヨハネ10-11)

 

ネヘミヤの態度に注目です。

 

私(ネヘミヤ)は大いにきげんを悪くし、トビヤ家の器具類を全部、その部屋から外へ投げ出し、命じて、その部屋をきよめさせた。そして、私は、神の宮の器物を、穀物のささげ物や乳香といっしょに、再びそこに納めた。(13:8-9)

 

彼はきげんを悪くし、トビヤたちの居た場所を一掃しました。しかし、これは単なる気まぐれや、虫の居所の問題ではなかったでしょう。神の宮を浄めるために毅然とした態度をとったのです。

 

この世界に存在する多くの問題が「リーダーシップ」に端を発しています。大祭司のような立場に置かれた人物が、聖書の基準よりも人間的な都合や好みを優先する人であるなら、民はバックスライドします。しかし、神は、ネヘミヤをお用いて、宮きよめをなさいました。彼は、目先の損得や人情よりも、神からのミッション、ビジョンに動かされる人だったのです。

 


②お金の問題

 

信仰のバックスライドの背景に、お金の問題が潜んでいる場合もよくあります。使徒の働き5章に出てくるアナニアとサッピラという夫妻もそうでした。イスカリオテのユダは自分が預かっていたお金を盗んでいながら、気前よく捧げた婦人を非難しました。

 

主イエスが「あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もある」(ルカ12:24)と言われた通り、お金に対する態度は往々にしてその人の本質を表します。

 

私は、レビ人の分が支給されないので、仕事をするレビ人と歌うたいたちが、それぞれ自分の農地に逃げ去ったことを知った。(13:10)

 

盟約にサインしたはずの人々が約束を破り、神の宮を支える務めを怠っていたのです。それで、宮で仕えるレビ人たちは神殿を離れ、生活のために農業に従事するようになっていました。

 

聖書は「すべてのものが神様のものである」と教えています。私たちは、自分の家、自分の土地、自分の車、自分のお金という考え方をしがちなのですが、実際にはそうではありません。これらは全て神様の所有物であり、私たちはそれを「お預かりしている」「託されている」に過ぎないのです。

 

そのことを信じる証しとして、聖書の時代から今にいたるまで、信仰者は富んでいても貧しくても「捧げもの」をするというライフスタイルを守ってきました。

 

私は代表者たちを詰問し、「どうして神の宮が見捨てられているのか。」と言った。そして私はレビ人たちを集め、もとの持ち場に戻らせた。ユダの人々はみな、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一を宝物倉に持って来た。(13:11-12)

 

ネヘミヤは特に影響力のある人々を戒め、悔い改めを促しました。そして、レビ人たちを神殿での働きへと戻しました。

 

キリスト教会においてしばしば「什一(十分の一)献金」が話題になります。主イエスの十字架により、モーセ律法の法的拘束力は終わっていますので、私たちにとって、十分の一というのは規則でも戒律ではありません。

 

この基準を満たさないからという理由で「あなたは呪われる」「神に裁かれる」などとプレッシャーをかける教会が稀にありますが、それは大きな誤りです。むしろ、そのような偽りを教える教師が裁かれるべきです。

 

しかし、私自身も、また、周りにいる多くの人も、十分の一以上を自発的に捧げる“恵み”にあずかり、それを喜んでいることは事実です。

 

私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。(2コリント9:6-7)

 

知恵や配慮を必要とする微妙な問題ですが、パウロのバランスに倣うのが良いでしょう。

 

  • 積極的・大胆に捧げることは大いに奨励されて良い。
  • しかし、それは強制されるべきではない。
  • 各々が神ご自身との関係の中で、心に決める。
  • 喜んで捧げることは神が喜ばれる。
  • それを妨げる状況や心の障壁があるなら取り除かれるよう祈る。

 

 

③優先順位の問題

 

次に、ここでは安息日が問題になっています。安息日を守るという盟約が反故にされているのです。

 

そのころ私は、ユダのうちで安息日に酒ぶねを踏んでいる者や、麦束を運んでいる者、また、ろばに荷物を負わせている者、さらに、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじくなど、あらゆる品物を積んで、安息日にエルサレムに運び込んでいる者を見つけた。それで私は、彼らが食物を売ったその日、彼らをとがめた。また、そこに住んでいたツロの人々も、魚や、いろいろな商品を運んで来て、安息日に、しかもエルサレムで、ユダの人々に売っていた。(13:15-16)

 

ここでは、神を礼拝し、神と共に過ごすために捧げると約束した時間が商売のために費やされています。

 

時間をどう用いるかのは、忙しい現代社会の中で大きなテーマです。ビジネスという言葉の語源は「Busy-ness(忙しい-こと)」ですが、どんな多忙の中でも、神ご自身と過ごす時間を取り分ける人はビジネスにおいても良い働きをすることができます。大切なことを大切にするために、妥協なく時間のやりくりをしたいと思います。

 

そこで私は、ユダのおもだった人たちを詰問して言った。「あなたがたはなぜ、このような悪事を働いて安息日を汚しているのか。」(13:17)

 


④家庭の問題

 

最後に、家庭におけるバックスライドを見たいと思います。異教徒との雑婚は根深い問題でした。

 

そのころまた、私はアシュドデ人、アモン人、モアブ人の女をめとっているユダヤ人たちのいるのに気がついた。彼らの子どもの半分はアシュドデのことばを話し、あるいは、それぞれ他の国語を話して、ユダヤのことばがわからなかった。(13:23-24)

 

最近、あるクリスチャンご夫婦が結婚に導かれた経緯をお聞きしました。そのエピソードを記します。

 

奥さんは結婚前からクリスチャンでしたが、信仰の確信は十分ではなく、教会生活も安定していませんでした。将来の夫となる男性と出会ったとき、彼女は、まだクリスチャンではなかった彼を連れて所属教会の牧師に会いに行き、結婚したいので司式をして欲しいと頼みました。

 

牧師は「あなたがたそれぞれにとって、イエスとは誰ですか?」と質問しました。彼女は優等生的答えをしましたが、彼は正直に「分かりません」と答えました。牧師は二人に「信仰が一致していないなら司式はしてあげられない」と言い、その根拠を聖書から語りました。彼女は内心「面倒くさいな。うるさいことを言わずに司式をしてくれる別の教会を探そう」と思ったそうですが、彼は違いました。

 

彼は、牧師にこのように言わせる「信仰」とはどのようなものなのだろうかと考え始めたのです。結婚を願っている若い二人に「待て!」というのは、よっぽど確信がなければ言えないだろうと思ったのです。そして、彼は自分の住んでいた地域の教会に真剣に通い始め、イエス・キリストに出会ったのです。二人は今、素晴らしいクリスチャン家庭を築いています。

 

価値観やライフスタイルの違いを無視し、そして、何よりも信仰の根幹部分を度外視して、単なる好みで結婚することは避けなければなりません*1。このような問題に、ネヘミヤは毅然と立ち向かったのです。確かにそれぞれの家庭に課題があり、弱さがあります。完全な家族などありません。しかし、あきらめず、失望せず、主にある家庭形成を祈り求めていきましょう。

 

このように、リーダーシップ、お金、時間的優先順位、家庭などの課題によって、私たちはバックスライドする誘惑にさらされます。嬉しいことではありませんが、この格闘は生涯続きます。そのことを覚悟しておくべきです。もし、自分自身の中に、また、身近な人の中に、このような「後退する力」が働いているのを見つけたら、その力と闘いましょう! 主はその戦いに伴ってくださいます。

 

信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。(1テモテ6:12)

 

そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。(ヘブル6:11)

 

 

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*1:結婚時には二人とも未信者で、先にどちらかが信者になった場合は、1コリント7:11-17、1ペテロ3:1-6の原則が参考になる。