道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第一コリント6章

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クリスチャン同士の訴訟問題

 

パウロは教会内の倫理的問題を取り扱っていきます。コリントの教会では、クリスチャンがクリスチャンを相手にして訴訟を起こすといった事態が起こっていました。

 

あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。(6:1)

 

この箇所で問題にされているのは、「仲間の者と争いを起こしたとき」に教会内で解決することができずに裁判にしたということです。ハーベストタイムミニストリーの中川健一牧師は「この訴訟は、刑事裁判ではなく、民事裁判です。刑事裁判の場合は、ローマの法律で裁かれるのが妥当というのがパウロの見解です。(ローマ13章)」 と解説しています*1

 

この箇所が訴えているのは「教会は物事の本質を見抜き、適切な判断、仲裁をできる力を持つべきである」ということです。パウロはここで、主イエスが再臨された後の王国においてクリスチャンたちが全世界を裁く存在になることを教えます。そのような存在として選ばれているのに、どうして小さな問題を裁くことができず、裁判に訴えるような醜態をさらしているのか、とパウロは問うているのです。

 

そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行なう、だまし取る、しかもそのようなことを兄弟に対してしているのです。(6:7-8)

 

当然ながら、これは教会内で不正やだまし取ることを奨励しているわけではありません。しかし、パウロはこのような強い表現を用いて、クリスチャン共同体の本質を教えようとしています。その本質とは「与え合うこと」です。互いに奪い合うこと、互いに訴え合うこと、互いに足を引っ張り合うことは敗北です。主の助けの中で、与え合い、仕え合い、励まし合い、赦し合うことを積極的に行っていきたいと思います。

 

 

神の国を相続できない者たち

 

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。(6:9-10)

 

だまされてはいけません。世の中の声がなんと言おうと、神の基準はこのように語ります。これらのことは罪であり、これらのことを習慣的に行っていながら何の咎めも感じない者たちは、神の国と何の関わりもない者たちです。もし、この箇所を読んで心を刺された人がいるなら、ぜひ悔い改めの祈りを捧げ、十字架の血潮による赦しを求めてください。さらに、あなたがその罪から離れることができるよう助けを求めましょう。

 

 

聖なる者、義と認められた者たち

 

あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(6:11)

 

私たちは皆、そもそも神の国を相続できないはずの者たちでした。神の怒りによる裁き、完全な滅びがふさわしい者たちでした。しかし、主イエスの為してくださった業とそれを信頼できるよう導く御霊の働きにより、私たちは新しく生まれ、罪が洗いきよめられました。今や私たちは、聖なる者(特別に分けられた存在)であり、義と認められた者(神との関係に何の傷もない存在)とされたのです!

 

 

キリスト者の自由

 

そのような私たちには「自由」が与えられています。それは好き勝手に生きる自由ではありません。好き勝手に生きる人は、実は自分の肉欲によってがんじがらめに支配されています。自分のためにならないことを喜んでやってしまうという悲惨な状態です。

 

パウロはここで性的な不品行を取り上げますが、多くの人々がこの問題で家庭を破壊したり、仕事や社会的地位を失ったり、誰かを深く傷つけたり、生涯拭い去れない後悔を抱くようになったりしています。「そんなことは俺の自由だ。誰にもとやかく言われたくない」とうそぶく人々もいますが、そのような罪を犯すことを望んでしまうこと自体、自由ではなく罪の奴隷として生きてしまっている証しなのです*2

 

真の自由とは、本当に善いこと、神に喜ばれること、他者にも自分にも益になることを喜んで実行できる状態です。パウロはそのような「キリスト者の自由」を生きていました。そして、コリントの人々に対して、そして、私たちに対してもそのような生き方を勧めているのです。ちなみに、この「キリスト者の自由」という言葉は宗教改革者マルチン・ルターのテーマでもありました。

 

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。(6:18-19)

 

今、私たちはそのような者へと変えられていく途上を歩んでいる不完全な者なので、残念ながら自分の体をもって自分の栄光を現そうとしたり、神の栄光を汚してしまいかねない行動を取ったりします。気がついたときにはすぐに「主よ、お赦しください」と祈って悔い改めましょう。

 

そして、私たちに聖霊が住んでくださっていることの恵みに目を向けましょう。私たちの救いのために払われた代価の大きさを思いましょう。その恵みの大きさを体験すればするほど、私たちは「自分の体をもって神の栄光を現したい」と喜んで願うように変えられていくのです。私たちはまさに「キリスト者の自由」を生きるようになるのです!

 

 

 

キリスト者の自由―訳と注解

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*1:見過ごすことができないような事件、トラブルを起こした人々が、この箇所あるいは6:7などを盾にしてあらゆる訴訟を封じ込めようとすることは聖句の濫用である。「教会内で解決する」とは深刻な問題を見て見ぬ振りをしたり、隠蔽したりすることを意味しない。むしろ、教会が自浄能力を持つべきことをこの箇所は教えているのである。

*2:パウロはこの箇所で性的関係が「一体となる」ことをもたらすと語っている。ある人々はこのことを非常に安易に考えるが、聖書は一対一の男女の結婚関係以外における性的関係を罪としている。これにはポルノも含まれる。もちろん夫婦であってもお互いに敬い合い、尊び合うことがなければ大いに問題である。聖書は性を汚らわしいものとして扱っているのではない。むしろ、神聖で、麗しく、神の御心の中で用いられるならば本当に喜ぶべき幸いなものであると教えている。

 

www.gotquestions.org

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