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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

広岡浅子とクリスマス

随想 読書 時事

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NHK朝ドラ『あさが来た』の録画を見るのが日課になっていますが、涙なしに見られません。様々なテーマが織り込まれていますが、ごく最近は「赦しと和解」のメッセージが前面に出ていたように思います。たった15分のドラマですが、よく作られているなぁと感心してしまいます。視聴率も好調だとか。

 

クリスチャンである私たちは、イエス・キリストによって私たちにもたらされた「父なる神との和解」を思うからこそ、ますます泣けてくるのかもしれません。神の御前では決して赦されるはずのない罪人である私たちが、イエス・キリストの犠牲によって義なる者として受け入れられる…。これこそが私たちの誇りとする福音です。

 

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。(ローマ人への手紙5:1)

 

主人公のモデル、広岡浅子さんはまさにこのような聖書の福音を信じ、それを生きた人物だったようです。

 

www.christiantoday.co.jp

 

彼女の著書『人を恐れず、天を仰いで』にはそのことがよく表れています。

 

人を恐れず天を仰いで: 復刊『一週一信』

人を恐れず天を仰いで: 復刊『一週一信』

 

 

この本の中にクリスマスについてこんな記述があります。

 

主キリストの降誕節を迎えんとするにあたり、自分は主降誕の真義を徹底的に考えてみたい。ルカ伝二章の十三、四の両節に「たちまち衆(おおく)の天軍あらわれ、天使と共に神を讃美曰(褒めていい)けるは、天上(いとたかき)ところには栄光神にあれ、地には平安(おだやか)、人には恩沢(めぐみ)あれ」という詩があるが、嗚呼(ああ)なんと美しく高く俗塵を抜いたところの詩歌であろう。クリスマスの讃美はこれで尽きている。この真義を我が社会民心に及ぼすのが、我らクリスチャンの責任である。 ( 中 略 ) 我らは月並み風にキリストの御誕生を唯物的に考えてはならない。真に主の嘉(よみ)し給うような心懸けで主の御降誕を深く霊的に祝さなければならない。天軍と天使の歌、これを聞いてベツレヘム目指して進み行く牧羊者の一段、これを拝する牧羊者と博士。ああ、何たる敬虔の情の満てることよ。我らは心一杯に天使の歌に合わせて御降誕を心から祝う。我ら真にイエスの霊を我が心の中に受くることによって、適当にクリスマスを祝することができよう。イエス我らの心に産まれ給うて、我らは讃美感謝の情に満たされるのである。我が国民すべてをしてかかる心情に到達せしめよ。

 

天使と一つ心になって讃美に満たされている浅子さんの息づかいが伝わってきます。私たちも、聖書の告げる福音の真義を味わいながら主を喜び、主に喜ばれるクリスマスを祝いたいと思います。

 

ところで、ドラマの中では「あさ」がクリスチャンになる…といった場面は描かれるのでしょうか? そうそう、彼女が洗礼(バプテスマ)を受けたのは明治44年のクリスマスのことだったそうです。

 

浅子と旅する。 (フォレスト・ブックス)

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