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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ヨブ記29-35章

ヨブ記

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過去志向に陥るヨブ

 
ヨブは苦しみの中で過去を振り返り、懐かしみます。
 
ああ、できれば、私は、昔の月日のようであったらよいのに。神が私を守ってくださった日々のようであったらよいのに。あのとき、神のともしびが私の頭を照らし、その光によって私はやみを歩いた。私がまだ壮年であったころ、神は天幕の私に語りかけてくださった。全能者がまだ私とともにおられたとき、私の子どもたちは、私の回りにいた。(29:2-5)


痛みや苦しみの中で過去志向後ろ向きになってしまうことは、誰にでもあることでしょう。忍耐強く、成熟した信仰者であったヨブも、あまりにも大きな苦難の中では例外でありませんでした。彼は過去自分が得ていた、神の守り、神との交わり、周りにいた愛すべき家族、物質的繁栄、名誉や影響力、為していた善行や正義など、すべてを想い起こし、ますます惨めな思いになっています。

現在を嘆くヨブ彼は過去の栄光と現在の悲惨さを比べます。 


しかし今は、私よりも若い者たちが、私をあざ笑う。彼らの父は、私が軽く見て、私の群れの番犬とともにいさせたものだ。(30:1)


過去、ヨブにしもべとして仕えていた者たちの子らである若者たちが彼を馬鹿にしているのです。なんと屈辱的でしょうか。


今、私は心を自分に注ぐ。悩みの日に私は捕らえられた。夜は私の骨を私からえぐりとり、私をむしばむものは、休まない。それは大きな力で、私の着物に姿を変え、まるで長服のように私に巻きついている。神は私を泥の中に投げ込み、私はちりや灰のようになった。私はあなたに向かって叫びますが、あなたはお答えになりません。私が立っていても、あなたは私に目を留めてくださいません。あなたは、私にとって、残酷な方に変わられ、御手の力で、私を攻めたてられます。(30:16-21)
 
本来の信仰は未来志向です。私たちは全歴史が神の栄光溢れる永遠に向かっていることを思い起こす必要があります。とはいえ、確かにヨブの態度や言葉には誤りが含まれていますが、私たちは軽々に彼を断罪することはできません。私たちがすべきことは、彼の姿から謙遜に学び、教訓を得ることです。
 
 
 

神との対話

 
このような苦しみの中でも彼は神に対して「あなた」と呼びかけ、時には叫び、神ご自身との対話を続けます。神は沈黙しているようですが、沈黙という形でヨブと向き合ってくださっています。この後、最終的に、神は彼に直接語りかけてくださり、悔い改めと平安とを与えてくださいます。私たちも苦難の中を通ります。神が沈黙しておられるように感じることもあるでしょう。あなたは今、まさにそのような人生の季節を通っているかもしれません。
 
あなたを選び、愛してくださっている神は、苦難の中にあっても、あなたの内側に「神様、主よ、父よ、あなた…」と呼びかける思いを授けてくださっているはずです。主なる神に対して「あなた」と呼びかけるのを決してやめてはならないのです。むしろ、神に向かって思い切り叫ぶ必要があるのではないでしょうか。
 
 

ヨブの生き方

 
31章において、ヨブは自分の義を主張します。彼は自分が情欲を持って女性を見ることや噓偽り、不正や不公正、性的な汚れから離れて歩んできたことを述べます。弱者に対する態度も正しく、自己を過信したり財産を頼みにすることもなかったと語るのです。さらに、自然界にある被造物を崇拝したり、憎む者に対して「ざまぁみろ」と思ったり、言葉の罪を犯したりしたこともないと主張します。見知らぬ人にはいつも親切にし、罪を覆い隠すこともない…などなどまだあります。
 
私たちはこれを読み、「ヨブは高慢ではないか。神の前に完全な正しさ(義)を主張できる人間などいないはずだ」と言いたくなるかもしれません。「ヨブにも、自分では気づかない罪があったはずだ」という声も聞こえてきそうです。確かにそうです。
 
しかし、それにしてもヨブの生き方の水準は非常に高いものです。周りの人々は、ヨブが「普通ではない生き方」をしていたことにすぐ気付いたことでしょう。彼は、我々が「それぐらいの罪は仕方がない」と思っていることを徹底的に遠ざけて生き、我々が「そんなことはさすがに無理でしょ」と思うようなことを実践していたのです。
 
例えば「すべての人は罪人です」「神だけが義なるお方です」と、私たちがどんなに“神学的”に正しい主張をしてみても、私たちの生き方がそのような真理を知らない人々と全く変わらないなら、その知識は一体何になるでしょう。私たちは、ヨブの部分的な間違いを見つけて優越感を抱くような愚かさを避ける必要があります。むしろ、尊敬すべき信仰の先輩であるヨブの姿から沢山のことを学ばなければならないのです。
 
 

全能者について説明するエリフ

 
最後に登場する最年少のエリフの言葉には、まさに“神学的”にもっともな主張が多く含まれています。
 
神は決して悪を行なわない。全能者は公義を曲げない。(34:12)
 
このような彼の主張そのものは真理です。しかし、どうも、彼の態度は尊大です。聖書注解者であるウォーレン・ウィアーズビは「…知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1コリント8:1)を引きいて、次のように語ります。
 
全能者について説明や弁明を試みる者は皆、礼拝者としての謙遜な心を持っていなければならない。(ウォーレン・ウェアーズビ)
 

この注解者は、エリフという若者を「成長しているのではなく、膨張している」と評し、彼の誤りが「神の一側面だけを強調して、他の面を見過ごしていること」であると指摘しています。神は確かに完全で義なるお方ですが、同時に、愛と恵みの神です。偉大なお方であられますが、私たちに近づいてくださるお方なのです。

  

 

ヨブ記講話

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Be Patient - Job.

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Be Patient (Job): Waiting On God in Difficult Times (The BE Series Commentary) (English Edition)

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