ここ数日、ヨハネの手紙を読んで味わい、いろいろと考えさせられ、考え方と生き方とを問われています。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(第一ヨハネ4:10-11)
「これほどまでに…愛し…」が、どれほどの愛であるか…。
もし、その見積りがあまりにも小さいなら、私たちはきっと小さくしか愛し合わないことでしょう。
でも、私たちが神の愛を知的にも正しく深く知り、確信し、体験的にも深く味わい、その広さ、長さ、高さ、深さに圧倒されてやまないなら、私たちはその愛に促され、押し出され、自ら率先して大胆に、具体的に、忍耐強く、たとえ相手が愛されるべき資格に欠けていると思える者だったとしても、その人々を愛さずにはいられなくなることでしょう。そして、その人々と互いに愛し合う関係を築くことになるでしょう。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(第一ヨハネ4:10-11)
「ここに愛があるのです」と言われる「ここ」をもっともっと深く見つめ、味わいたいと思います。
喜びの満ちるために 愛の人ヨハネの記した手紙 (いのちのことば社)
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