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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

真のキリスト者としての確信

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ヨハネの手紙の第一は、私たちに一体何を教えてくれるでしょうか。それは「真のキリスト者」の特徴です。この手紙が書かれた当時、グノーシス主義などの偽りの教えがはびこっていました。彼らは、キリスト者を名乗り、教師でさえありましたが、しかし、その実質は肩書と大きくかけ離れたものでした。

 

だからこそ、ヨハネ*1は、この手紙によって「本物」と「偽物」を見分けるように警告を発しているのです。という言葉が頻繁に出てくる手紙ではありますが、そのような意味においては戦闘的とも言える書です。そして、現代を生きる私たちにも重要な視点を与えてくれる書なのです。

 

人が真のキリスト者となることは、その人自身の努力や資質によって起こることではありません。ただ、神によって新しく生まれる(産んでいただく)ことによるのです。それは、このように言われている通りです。

 

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ福音書3:3)

 

真のキリスト者は、イエスが人として来られた神の御子であり、救い主、主であることを信じます。さらに、彼らには、御言葉の従順、神ご自身への愛、同じ神から生まれた兄弟姉妹への愛、使徒たちが伝えた真理への同意という特徴が見られます。

 

キリスト者の全員が、これらの特徴をすべて十分に持っているわけではありません。完璧に身に着けている人は一人もいないでしょう。むしろ、従順に欠けてしまうこと、愛に欠けてしまうこと、真理を見誤ってしまうことがしばしばあるです。しかしながら、真のキリスト者は、このような特徴へと向かって成長することを願います。そして、このような特徴を基本的な態度として実際に身につけていくのです。逆に言えば、このような特徴とは何ら関わりのない人々が自らを「キリスト者」「クリスチャン」と言うなら、それは意図的に自分を偽っているか、誤解をしているかのどちらかでしょう。

 

残念なことですが、「私はクリスチャンです」と言いながら、神ご自身に対して何の興味もなく、神に従うのではなく全く自分自身の欲求に従って生き、何の咎めも感じない人々もいます。

 

彼らはひょっとすると、クリスチャンの親を持っているかも知れませんし、過去に何かの集会等で「イエスを信じたい人?」と聞かれて手を挙げたことがあるかもしれません。洗礼さえ受けたことがあるかも知れませんが、まだ神から生まれてはいないのです*2。ですから、彼らに必要なのは信仰の成長ではなく、救いです。そのためには、彼らのために執り成しの祈りが捧げられ、はっきりと丁寧に福音が告げられる必要があります。

 

イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。(1ヨハネ5:1-3)

 

真のクリスチャンにとって、神の命令は重荷にはなりません。「でも、御言葉に従うことは大変です。簡単ではありません」という声が聞こえてきそうです。よく分かります。私自身にとっても、聖書の命令に従うことは日々戦いの連続です。では、「重荷とはなりません」とはどういうことでしょうか。それは、嫌悪すべき無意味な労苦なのではないということです。

 

ヨハネは「その命令は重荷とはなりません」と言っているが、彼は「それは難しいものではない」と言っているのではない。「新しく生まれた人々は、まさにそれを行うことを好む」と言っているのである。…主の「命令」は、私たちにとって最良のものであり、私たちの新しい性質が心から喜ぶものなのである。(ウィリアム・マクドナルド)

 

もう少し具体的にお勧めをしたいと思います。

 

  1. 神に愛されていることを「より深く知りたい」「味わいたい」と切に求めましょう。神ご自身に向かって、「あながたどれほど私を愛してくださっているか、どうぞもっと教えてください」と祈り求めるのです。まず先に私たちを愛してくださった神の愛からすべてが始まっています。この愛を知り、この愛に満たされるなら、私たちの生き方は根本から変えられていきます。
  2. 1の願いを持ちながら、神に命令に従い、具体的な愛の行動をとりましょう*3(試しにやってみるのです!)。このことは、新しく生まれた自分を積極的に使うことでもあります。
  3. そのことを通して、私たちが神によって新しく生まれた存在(神に従いたいと願う存在)であり、私たちに内住する神(聖霊)が私たちを具体的な助けようと働いてくださっていることを改めて確認することができます。と同時に、神に従うことを拒む肉の性質(古い人としての生き方の癖)が強く働いていることも確認することになるでしょう。
  4. 古い癖が残っていても「古い人は過ぎ去って、新しく生まれた」という事実を確認し、その真理に立ちましょう。そして、なだめの供え物として死んでくださったイエスに感謝し、私たちをイエスの義を身にまとう者として見てくださっている神をたたえましょう
  5. 愛することの難しさを味わうとき、私たちを愛する神ご自身の愛の偉大さ、気前の良さ、忍耐深さを黙想する。そうすると私たちは、1で求めたこと(神にあ愛を知ること)が自身の中で一段階前進するのを体験するでしょう。

 

神の愛を知ると、より深く知りたくなります。私たちは5から1へと戻って再び2,3と進むのです。この良いサイクルを繰り返していくことが重要です。そしていつの間にか私たちは、以前なら「大変だ」「重荷じゃないか?」と思っていた神の命令に、深い喜びをもって従う者へと変えられていくのです。そのとき私たちは、以前にも増して「私は真のキリスト者である」という確信を持つようになります。それは偽りでも誤解でもなく、また、誰かを見下すような誤ったプライドを伴うものでもありません。

 

私は真のキリスト者であるという確信は、「私は紛れもなく滅ぶべき罪人です。しかし、このような罪人が神の愛を受け、神の子どもとされ、永遠のいのちを得ています。そして、罪と欲望の奴隷としての人生ではなく、神に従う人生を送りたいと願うように変えられています。何ともったいない恵みでしょうか。なんという偉大な神でしょうか!」という驚きと賛美を伴う確信なのです。

 

私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。(1ヨハネ5:13)

 

 

 

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*1:伝統的にこの手紙の著者は、使徒ヨハネであると考えられてきた。それを否定する立場の学者も少なくないが、最も穏健で保守的な理解は、ヨハネ福音書・ヨハネの手紙1/2/3・ヨハネの黙示録が、彼ー使徒ヨハネーによって書かれたと信じる立場である。

*2:このような現実の背景には、彼らをそのように導いてしまっている教師たちの存在がある。

*3:たとえば、キリストにある兄弟姉妹の誰かを選んで、その人のために真剣に祈り、その上で、彼(彼女)が必要としている手助けを具体的に行ってみる、感謝や励ましの声をかけてみる、ささやかなプレゼントや自由に使って良いお金を贈る、などなど。