4つ目のテアテラの教会には、神に従う行い、愛、信仰、奉仕、忍耐がありました。特に具体的な行いにおいては少なからず前進している教会であったようです。
しかし、彼らの内には問題がありました。
しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行なわせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。(2:20)
自称預言者であったイゼベルという女性をのさばらせ、彼女の導きによって誤った教え、性的な罪、偶像礼拝の罪が横行するようになっていたのです。彼女の名前は、あの悪名高き王女イゼベル(1列王記16章〜)を思い起こさせます。
テアテラの教会の問題は、偽りの教えを見ぬくことができなかったか、もしくは、見抜いていたのにそれを放置したことです。また、リーダーシップの秩序についても問題が見受けられます。新約聖書の中にある教会についての教えを見ると、教会の中で女性が強いリーダーシップを持つことには否定的です。男性と女性の価値は等しく尊いのですが、リーダーシップにおいては聖書的秩序があります*1。
ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい。勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。(2:25-27)
問題のあるテアテラの教会の中にも、本来の信仰を抱いている人々がいました。それをしっかりと保ち握り続けるなら、主イエスが再臨されるとき、報いがあります。彼らは、メシヤが王となられる御国において諸国の民のリーダーとなるのです。
現代の教会を考えても、偽りの教えの混入やリーダーシップの混乱は大きな問題です。不器用でもまっすぐに、ただ神の言葉にとどまること…。この姿勢を、主が来られるときまでしっかりと持ち続けたいと思います。
けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。(2テモテ3:14-15)
*1:「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。」(1テモテ2:11-15)という教えが代表的である。これは、テモテの牧会するエペソ教会が、女神信仰を持つアルテミス神殿のお膝元にあったことを背景にしているだろう。アルテミスを崇拝するにあたって、女性たちが指導的役割を果たしていた。しかし、パウロが男女の秩序をわざわざアダムとエバにまで遡って説明していることからも、このことが普遍的な教えであることが分かる。確かに旧約時代以来、優れた女性預言者や教師がいなかったわけではないが、彼らは男性の指導者たちリーダーシップの覆いのもとで活躍していた。男性の上に立って突出した権威をもった女性リーダーとして思い出されるのは、むしろ悪名高いアタルヤやイゼベルである。