道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ヨハネの黙示録4-5章

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4章からは将来に関する預言が始まります。「四つの生き物*1」「七つの御霊」*2など、慣れない表現が出てきますが、特に4-5章は、携挙によって天に引き上げられた教会(1テサロニケ4:16-18)が主イエスを礼拝している様子であることを心に留めて読みましょう。

 

神の座っておられる「御座」(みざ)ということばが何度もでてくるので「御座の章」とも呼ばれます。ここを読むと、私たちが捧げる礼拝が本来、どれほど畏敬と感動と興奮に満ちた礼拝であるべきかが分かります。

 

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」(4:8)

 

聖なるかな×3」と強調してもしきれないほど、主は偉大で「聖」(他の何者とも区別される)であるお方…。

 

二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(4:10-11)

 

ここでは二十四人の長老、天に引き上げられた教会のリーダーたちは、御座の前でただただひれ伏して礼拝をします。今の私たちには、そのようなお方の御座に祈りをもって近づく特権がすでに与えられています。なんと恐れ多く、感謝なことでしょうか。

 

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル4:16)

 

5章に登場する「封印された巻物」はなんだか謎めいています。ユダヤの文化の中でこれはどうやら「土地の権利証」のようです。つまり、これを「この世界の権利証」と考える説があります。創造主なる神はこの権利をアダムに託しましたが、罪によって彼(私たち人類)はサタンにそれを譲渡してしまいました。また、それとは別にこの巻物が、証人の立ち合いのもとで封をした「遺言」であるという説も有力です。両方を兼ねた「土地の権利に関する遺言」ということかもしれません。

 

さあ、これを取り戻す(封印を解く)のは誰でしょうか…。それは、あの獅子であり小羊であられるお方 ー主イエスー です。

 

すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」(5:5)

 

彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」(5:12)

 

この後、6章からは7年間の恐ろしい患難時代について詳しく記されていますが、その時代にはもはや「教会」は登場しません。

 


Hymn - Holy Holy Holy - Acapella Arrangement!

*1:イザヤ6章に登場するセラフィム

*2:聖霊ご自身。七つは完全さを表している。