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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ヨハネの黙示録6-7章

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黙示録は、聖書全体の「まとめ」ですので、聖書全体(特に旧約)についての理解がないとなかなか分かりにくい…。しかし、「フィナーレ」ですから、よく理解できるようになると心躍るような感動の内容が記されています。忍耐強く聖書全体の通読に取り組み、共に学んでいきましょう。

 

確かに「患難時代」に関する記述は、恐ろしい内容です。しかし、黙示録全体は「希望の書」です。初代教会のクリスチャンたちは、迫害の中でこの書を読み、大きな励ましを受けました。6章からは、その「患難時代」の七年間に関する記述です。これは、旧約聖書には「主の日」としても書かれている「神の御怒り」の現れる日です。

 

私たちの生きている現代にも「患難」というものがありますが、それは突き詰めると人間の罪(によるこの世界の堕落)やサタンの働きから出ているものです。私たちクリスチャンたちも試練にあって苦しむことがあります。しかし、試練の中でも神の憐れみがあり、支えがあり、その中で成長させらたり、必要な悔い改めが与えられたりします。

 

しかし、「患難時代」における苦しみは意味が違います。全ての災いは「神の御怒り」から発しており、七つの封印、七つのラッパ、七つの鉢という形をとって現われ、徐々に激しくなっていきます。イエス様は「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難がある…」(マタイ24:21)と言われました。

 

また、「人々が『平和だ。安全だ』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。」(1テサロニケ5:1-2)とあります。これを読むと恐ろしくなるかもしれませんが、ご心配なく。次の箇所を見てみましょう。

 

「しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。…神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。」(1テサロニケ5:3,9)

 

黙示録4章以降「教会」は一切出て来ません。なぜならば、患難時代の前に教会は天に引き上げられ、地上にいないからです(1テサロニケ4:16-18)。心からイエス様を救い主として信じ、主と告白するクリスチャンは患難時代を恐れる必要はありません。

 

6〜18章に「わたしの民」などの表現が出て来た時には、イスラエル人や患難時代に新たに信仰をもった人々ことです。詳しいことは省きますが、この患難時代が何のためにあるかというと、一言でいうなら「旧約聖書に預言されたイスラエル民族の回心のため」です。

 

もう一つだけ大切なことに触れておきましょう。この患難時代のキーパーソンは「反(アンチ)キリスト」と呼ばれる人物です。この「アンチ」とは、「反対する」という意味だけでなく「とって代わる」という意味もあります。

 

実は、この黙示録6章の冒頭に出て来る白い馬に乗っている人物、これが反キリストです。彼は聖書の中で「獣」「不法の人」「滅びの子」、そして「荒らす憎む(忌む)べき者」とも呼ばれますが、「キリストを思わせるような非常に魅力的な人物」として世界的な権力を手にしていくことになります。

 

そして、最終的に「彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言し…」(2テサロニケ2:4)、イエス様が地上に再臨される時まで、恐ろしい恐怖政治を行うようになります。

 

 


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