道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ヨハネの黙示録10章

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6章から始まった封印の裁きが七つ目まで来ると、今度は、ラッパの裁きが始まります。9章までで私たちは六つ目のラッパの裁きまでを見ました。10章のはじめから11章14節までは、六つ目のラッパと七つ目のラッパの間に起こる出来事を詳しく述べている箇所であると考えられます。

 

繰り返しますが、私たちは七年間の患難時代についての預言を見ています。この箇所は、この患難時代の真ん中近くに起こる出来事で、この後、七つ目のラッパをもって患難時代は後半へと入っていきます。

 

ここに出てくる「もうひとりの強い御使い」も、8章に出てくる御使いと同様に主イエスであると考えられています。その姿、その声は、明らかにふつうの天使とはスケールが違いますので、主イエス、もしくは神ご自身のメッセージを届ける大天使ということになるでしょう。

 

獅子の咆哮のような大声と七つの雷が出てきますが、これがどんな音であったのか、何を語っていたのか、私たちには分かりません。ヨハネはメモを取ろうとしたのですが、それを禁じられました(10:4)。私たちには現されることなく隠されている神の御心があるのです。それを詮索するのではなく、御言葉に現されている御心に注意を払っていきたいと思います。

 

隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。(申命記29:29)

 

私たちがなぜ御言葉に注意を払うべきなのか、それは、その言葉が必ず実現するからです。私たちは天気予報にも注意を払います。もし、その的中率が1割、2割ならあまり真剣に見ないかも知れませんが、7-8割ほどの的中率なら「一応、天気予報を見ておこう」と思うでしょう。しかし、神の言葉は100%です。だから、なんとしても見ておかなければなりません。

 

第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」(10:7)

 

旧約時代の預言者たちが語ってきた「主の日」、すなわち、神の怒りが余すところなく地上に注がれる日が、その預言の通りにやって来るというのです。

 

R.C.スプロールという神学者は次のように語ります。

 

今日私たちの文化と私たちの教会における不信仰の極みは、人類に対する神の御怒りとさばきの確かな約束を信じないことである。…旧約で真の預言者と偽預言者との基本的違いは、前者が主の日を激しい怒りの日として宣言したところにある。人々はそのようなことを聞きたくなかった。だから、偽預言者は、主の日は輝きと喜びの日であり、なにも心配することはないと人々に約束して、賞賛を得たのである。「神様はあなたを愛しています。」「神様はあなたのために素晴らしいご計画をお持ちです。」しかし、現実は、悔い改めない者たちのために、神はすばらしいご計画など持っておられないのである。…

 

…あなたは救われていますか。この問いは、だれであれ、いずれ直面する最も重要な問題である。神の御怒りが流れ出るこの恐ろしい局面を一瞬でも考えるなら、私たちのたましいは震えおののく。私たちが神の怒りに焼きつくされるにふさわしいものであると考え、その御怒りが私たちの代わりにイエスを焼き尽くしたのだと悟るとき、そして、その差し迫った危険の大きさを知るとき、私たちは、イエスが授けてくださった救いの大きさを知ることができるのである。私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにする場合、どうしてのがれることができるであろう。

 

(『何からの救いなのか?ー神の恵みの奥義ー』R.C.スプロール著, 魚本つる子訳、いのちのことば社)

 

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この御使いは、小さくて、開かれた巻物をヨハネに手渡し、彼はそれを食べます(!!)。この御使い自身が巨大なので、小さい巻物もデカかっただろう…と私は思います(笑)。この巻物には、口には甘くて腹には苦い預言のことばが記されてあったようです。神のことばは、私たちにも甘味と苦味の両方を与えます。喜びを与えてくれることもありますが、同時に心を刺され、問われることも多いのです。ヨハネが腹で苦味を覚えたように、私たちも御言葉理解が進むにつれて苦味を覚えることが多くなるかも知れませんが、それによって変えられ、整えられ、実際の行動へと歩み出すことができるのです。

 

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