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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

詩篇103篇

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わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(103:1-2)

 

このダビデの詩は、人生を振り返るような内容であることからも、彼の晩年における信仰の歌であると考えられます。幾人かの学者は、老齢になり、肉体の衰えの中で歌ったものであると述べています。

 

彼が、自分自身のたましいに向かって「主をほめたたえよ」と命じていることは注目に値します。たとえ置かれている環境や気分が「賛美したい」と思えるような状態でなかったとしても、私たち信仰者は意志をもって「わがたましいよ。主をほめよ」と自分自身に向かって語りかけ、賛美を呼び起こすという選択をする必要があります。それだけれはありません。いついかなるときにも私たちには主を賛美する理由と根拠が十分にあるのです。

 

彼は「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と自分自身に語ります。主はどんな良いことをしてくださったのでしょうか。この後の節で彼はそれらを挙げます。

 

 ①罪咎の赦し

 ②癒やし

 ③贖い

 ④冠

 ⑤良いもの

 ⑥若さ、新しさ

 

これらのものはダデビでだけではなく、私たちにも既に与えられているか、やがて必ず与えられると約束されているものです。主イエスの十字架により、過去・現在・未来の罪が赦されています。今、生かされているということは、これで多くの病気や怪我から回復させられ命を与えられ続けているということですし、やがては病も老いも衰えも関係のない栄光の身体を与えられることが約束されています。これは完全な癒やしともいえます。私たちの存在は、主イエスの命という代価によって墓(死)から贖い出されました。やがて、義の冠、栄光の冠など多くのを授けられます。神の敵・罪人である私たちに本来は与えられるはずのない良いものが、生涯の中に数え切れないほど備えられてきました。そして、やがては良いものしかない場所で永遠に生きることになります。そこでは若さと新しさが増し加えられながら更新され続けます。

 

これらのものは、私たちが上を見上げて主をほめたたえる理由、根拠となるものであり、私たちの置かれている状況や気分によってなくなってしまうものではありません。賛美をしたから急に状況が良くなったり、気分が晴れたりするわけではないでしょう。でも、「わがたましいよ、これらの事柄、つまり、主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と、私たちはいつも自分自身に向かって語りかける必要があります。これは、神が私たちに求めておられる正しい態度です。確かに鬱々した気分、不安、悲しみ、様々な思いが襲いかかってくることもあるでしょう。その中で、何もできない無力さを覚える時もあるかもしれません。私自身もそのような状態に陥ることがあります。でも、思い出したいと思います。そのような中でも私たちにはできること、そして、すべきことがあるのです。さあ、あなた自身の心に向かって語りけてください

 

 

わがたましいよ。主をほめたたえよ!

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな!

 

 

 

詩篇講録

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