道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

同性愛、同性婚について、聖書をどう読むか(2)

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主イエスは何を語られたか?

 

ある人々は、「イエスは別に同性愛に反対するような発言をしていない」と言います。確かにそうです。でも、主イエスはそれを肯定するような発言もなさっていませんし、福音書記者が「もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」(ヨハネ21:25)と語っているように、主イエスの言動は、全てが記録されているわけではありません。福音書に直接記録されていないということなら、近親相姦、獣姦、幼児に対する性的虐待などについての言及もないのです。

 

主イエスが明言されていたことは、これです。

 

イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。 (マタイ19:4-5)

 

 神は「男と女」とを創造されたということ。結ばれて一体となるのは、「一人の男と一人の女」であるということです。

 

 

使徒は何を語ったか?

 

ローマ人への手紙1章において、パウロは人間の罪の姿についてこのように語っています。

 

…21 彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。24 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。

 

26 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、27 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。32 彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。

 

ここに出てくる「自然の用を捨てて」とは、性に対する神のデザイン、意図に逆らうという意味です。ただし、ここで私たちが理解しておかなければならないことは、29-31節に挙げられている様々な罪も、本来「死罪に当たる」(32節)ということです。

 

皆さんは、これらの罪を犯すことがありませんか。残念ながら、私はあります。ですから、私たちは本来ならば死罪に当たる存在であり、ただ主イエスの身代わりの十字架によってのみ、その刑罰を免れることができる存在なのです。

 

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけまんせん。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。(第一コリント6:9-10)

 

ここにもリストがありますが、私は過去にこれらの箇所にある様々な罪を犯してきた者ですし、キリスト者となった今も、未だにこれらの罪から完全に自由であるとは言えません。たとえば、思い出してください、主イエスが「姦淫」と言われる時、それは具体的ないわゆる不貞行為だけではなく、心の中の情欲をも問題にされていました。

 

だから、私は、同性愛者に石を投げることのできる者ではありません。自分には全く罪がないかのような態度で、彼らを断罪することはできません。いわゆる異性愛者と呼ばれる人々も同性愛者と呼ばれる人々も罪人であり、どちらにも主イエスの十字架が必要であると信じます。上の箇所に続けて、パウロはこのように語ります。

 

あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(第一コリント6:11)

 

キリストの十字架を抜きにして、自分の正しさによって神の国に入れる人は誰一人いません。また、神の国に入れられた者も、この地上を生きる限り罪との闘いが続きますが、しかし、神の国にふさわしい生き方をしたいと願い、そのような生き方をするように徐々に変えられていくはずです。

 

神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。なぜなら、主はこれらすべてのことについて正しくさばかれるからです。これは、私たちが前もってあなたがたに話し、きびしく警告しておいたところです。神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。ですから、このことを拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたに聖霊をお与えになる神を拒むのです。(第一テサロニケ4:3-8)

 

もしも、「私はキリスト者です」と言いながら、聖書が罪であると教えていることを「いや、罪ではない」と拒み、何の良心の咎めも感じずにその中にとどまり続けている人がいるならどうでしょう。私は、その人が真に新しく生まれたキリスト者であるのかどうか疑問に思う必要があると考えます。

 

その人が真のクリスチャンではないと軽々に決めつけることもできませんが、私は、その人に「あなたはクリスチャンなのだから、こうしなさい」と言うよりも、まず、共に聖書の御言葉を学び、聖書の権威について、神について、人間について、罪について、救いについて、丁寧に分かち合う(福音の告知)ことが必要であると考えます。私がもし、Baconさんにお会いする機会があるなら、そうしたいと思います。

 

 

Baconさんの誤り

 

さて、Baconさんの記事には、 こうありました。

 

「クリスチャンとして、私は心から、神は間違っていない、何百万もの同性愛者(や動物たち)を作ったのは偶然ではない、と信じています。私たちが存在するには何かしらの理由があって、誰もあなたに嫌な思いをさせてはいけないのです。」

 

しかし、この発言はBaconさんが、聖書の誤った理解に基づいて同性愛者を糾弾する人々を非難していながら、ご自分自身、聖書の初歩的な理解に欠けていることを明らかにしています。確かに神は間違っていないのですが、Baconさんの聖書理解が大きく誤っているのです。実はこの誤りは、キリスト教界内で同性愛を擁護する立場の人々からもよく聞かれる内容です

 

 

聖書は、神が人間とその他の被造物を素晴らしく良いものとして創造されたことを教えています(創世記1:31)。「私たちが存在するには何かしらの理由がある」とはその通りで、私たちは全て創造者のご意志によって造られたものです。しかし、私たち人間の罪によって、人間とその他の全被造物は堕落したと聖書は教えます(創世記3章)。身に覚えがないと思うかも知れませんが、これは単にアダムだけの責任ではなく、全人類の問題です(ローマ5:12)。

 

全ての人が、生まれながらにこの罪と堕落の影響下にあります(ローマ3:23, 詩51:5, エペソ2:3)。私たち人間の知性と良心は汚れています(テトス1:15, エレミヤ17:9)。人間だけではなく、被造物全体が本来の姿を損なった状態で今日に至っています(ローマ8:20-22)。

 

ですから、「今のありのままの状態」を見て、「それは、神がそのように創造されたのだ。それが本来の姿なのだ」と言うことは誤りです。現時点では誰一人、創造本来の姿をしている人はいません。たとえば、人は「私はしょっちゅう嘘をつくけれど、それは神がそのように創造されたからなのだ!」とは言うべきではありません。また、嘘のような道徳的な問題とは次元が異なる事柄ですが、生まれつき身体の不自由な方に「あなたは神にそのように(先天性の病気や障害を持つべく)創造された」という言葉をかけることも、たとえその人を励ましたいという良い意図があっても、厳密な意味では誤りです。

 

生まれながらの病をどう理解するかついては、ヨハネの福音書9章にある盲人の癒やしが参考になります。当時の人々や弟子たちは、「その当人か、親の特定の罪のせいで、この病気が起こったのではないか」と考えました。しかし、主イエスはこう語られました。

 

イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」(ヨハネ9:3)

 

これは、この人自身や両親が全く罪のない完全な人間であったことを意味している訳ではありません。「他の人よりもことさらに悪い罪を犯した故に病気となった」という考え、つまり、特定の罪に対するバチが当たったというを否定しているのです*1。主イエスはこのやり取りの中で、病気や障害、死というものが、人間の罪によってこの世界に入ったということを否定している訳ではありません。主イエスはさらに、神がその病さえも、神の栄光を現す機会、舞台とすることがおできになることを語り、癒やしを行われたのです。もし、この盲人が盲人のまま、永遠に「ありのまま」でいた方が良いというのなら癒やしは必要ないはずです。

 

 

聖書の語る悪い知らせと良い知らせ

 

神は、人間の考えを遥かに越えたお考えをお持ちで、その偉大なご計画の中で、私たちが障害や病気、様々な歪みや悩みを抱えて存在することを一時的に許容しておられます。それが「なぜ私なの?」「どうして彼なんだろう?」という切実な問いに対して、残念ながら聖書は沈黙しています。これについては、神の領域に属する事柄として神にお委ねし、私たちがはっきりと知るべきことを神の言葉に聞いていくべきです(申命記29:29参照*2)。

 

聖書の語る言葉は、私たちを一時的に“嫌な思い”にさせることがあります。聖書の良い知らせを受け取る前提として、私たちは罪や堕落といったことに関する「悪い知らせ」を聞かなければならないのです。一時的に心が騒いだり、感情を害したりしても、神の言葉としっかりと向き合い、神の導き(聖霊の助け)によって聖書を理解していくなら、その真理こそが私たちを自由にします。耳に心地の良い偽りは、一時的には良い気分にさせてくれても、私たちを惑わせるのです。

 

神は、罪と堕落の影響下で苦しむ人間を心に留め、罪の中で創造主に敵対する不遜な者たちをさえ憐れみ、「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられ」(第二ペテロ3:9)ます。今は、人間も含む全ての被造世界が本来の姿を損なっていますが、それらはやがて完全に新しい栄光輝く姿へと変えられるのです。あなたが主イエスを自分の罪からの救い主として信じ、このお方を主と告白しながら生きていくなら、これらのことがあなた自身に実現します。これは、聖書の語る素晴らしい良い知らせです。

 

(次回に続く)

 

 

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*1:ルカ13章も参照

 

*2:「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。」(申命記29:29)