道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

心を奪われ続けるべき働き(1)

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皆さんはなにかに専念していますか? 聖書は教会の指導者たちに対して、あることに専念し、心血を注ぐように教えています。

 

私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。(第一テモテ4:13)

 

パウロがエペソ教会に行きたかった理由

 

パウロは、テモテのいる場所、つまり、エペソの教会に行くことを願っていました。その理由はパウロが、自分自身が開拓し、3年間、夜も昼も涙ながらに教え訓戒したエペソの教会を愛していたからです。この教会は既にある程度の歴史を持ち、規模も大きくなっていました。

 

また、パウロは、そこで若き牧会者として奮闘しているテモテを心から愛していました。パウロとテモテとは、特別な信頼関係で結ばれていました。

 

第二テモテにあるように、テモテは母親と祖母を通して、幼い頃から聖書に親しんで成長した人物です。彼を明確なイエス・キリストへの信仰に導いたのは、おそらくパウロ自身でしょう。これは第一回目の伝道旅行の時に起こったと考えられます。ですから、パウロは「信仰による真実のわが子テモテ」といった呼び方をするのです。

 

また、パウロは、このテモテを「兄弟」そして「同労者」とも呼んでいます。第二回目の伝道旅行のさなかでパウロがルステラという町に立ち寄った時、評判の良いキリスト者として成長したテモテと再会を果たします。その時のことが、使徒の働きの16章に記されています。パウロが直々にテモテを指名して、「彼を連れていきたい!」と言ってチームに加えたことが記録されています。

 

パウロは、また、ピリピ人への手紙で、「テモテのように私と同じ心になって…教会のことを真実に心配している者は他に誰もいない」とも語っています。他にも様々な箇所を通して、私たちは、パウロがどれほどテモテを愛し、どれほど彼に期待し、彼を信頼しているかを知ることができます。ですから、パウロが、愛弟子であるテモテに会いたい、彼と語り合い、祈り合い、励まし合いたいと願うことはごく自然なことです。

 

しかし、彼がエペソに行くことを願っていた理由はそれだけではありません。この教会にはどうも不穏な空気が流れていたのです。パウロはこの手紙の冒頭でこんなことを語っています。

 

私がマケドニヤに出発するとき、あなたにお願いしたように、あなたは、エペソにずっととどまっていて、ある人たちが違った教えを説いたり、果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。(第一テモテ1:3-4)

 

議論を引き起こすような、異端的教えを持ち込む人々の存在が見て取れます。4章のはじめを見ても、これは「後の時代」についての警告ですが、「ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになる」と警鐘がならされています。エペソの教会には黄色信号が点灯しているようです。

 

私が行くまで…専念しなさい

 

パウロに愛され、期待され、信頼されていた素晴らしい器であったテモテですが、しかし、彼の牧会は、そんなに万事うまくいっていたわけではありません。いろいろと心身を痛めつけるような労苦があり、がっくり肩を落として落胆してしまうような様々な経験もあり、一筋縄にはいかなかったのです。

 

 

そういう状況の中で、パウロは、なんとしても彼のいるエペソを訪れ、彼に必要な励ましや助言を与えたかったのです。しかし、その訪問の願いがいつ叶うのか、あるいは決して叶わないものなのか、見当もつきませんでした。それで、熱い思いを込め、この手紙を書き送ったわけです。

 

私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。(第一テモテ4:13)

 

私が行くまで…こうしなさい。これは、私や妻がよく子どもたちに言うセリフです。「お母さんが帰ってくるまでに、宿題とお手伝いを終わらせておきなさい」とか…。みなさん職場などでこの表現を用いるかもしれません。パウロはテモテに宿題を出し、「私がそっちに行ったときにはチェックするからな!」と言っているのです。これは厳しくも、温かい、恩師からの勧告です。

 

教会への手紙ではなく、リーダーへの手紙

 

非常に基本的なことですが、この命令は、教会全体に対してではなく、テモテ個人に対する命令です。私が行くまで、“あなた”は、これと、これと、これに専念しなさい…。

 

不健全な異端的教えが、エペソの教会に忍び寄っていることを知った時、パウロは、教会全体に対して「エペソ人への第二の手紙」を書くのではなく、特に指導者テモテに対して手紙を書きました。そして、彼に対して非常に細かく指示やアドバイスを与えます。それは、教会において「指導者」というものが大きなカギを握っているからです。

 

テモテという一人の指導者が何を信じ、何に情熱を傾け、どのように歩むかによって、教会が立ちもし倒れもするということをパウロはよく知っていました。

 

それで、1章18節では、テモテ対して「信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜いてほしい」と勧めています。また、4章6節では「キリスト・イエスのりっぱな奉仕者になる」ことを勧め、また、12節では「ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい」とも命じています。

 

パウロは、リーダーであるテモテを励ますことを通して、エペソの教会がしっかりと立っていくことができるようにと願っているのです。神は、神ご自身に従うたった一人の人物を通して、計り知れないほど大きな変化を起こされます。ですから、この御言葉を読む牧師たちは(私自身も含め)自分自身がどのように歩むべきかを、もう一度丁寧に吟味したいと思います。

 

では、いわゆる“信徒”の皆さんはどのように読めば良いでしょうか。「自分には関係ない」と思わないでいただきたいのです。皆さんが牧師、長老、説教者であろうとなかろうと、全てのクリスチャンが心がけていくべき方向性がこの手紙には書かれています。また、この箇所を学ぶことを通して、皆さんの教会の活性化の大きな鍵を握っている指導者のため、より祈りを深くし、熱くしていただきたいと心から願います。

 

 

 

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