道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

教会の再生と牧会理念(4)〜霊的な建物の資材について〜

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前回は、霊的な建物の設計者について学びました。つまり、教会は神ご自身が設計されたものであり、このお方の設計図に基づいて正確に建てられるべきであるということです。今回は、建築資材について考えてみたいと思います。

 

主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。(第一ペテロ2:4-5)

 

この箇所には、二種類の「生ける石」というものが出てきます。それは第一に、教会の礎石である主イエスであり、第二に、教会の建物を立て上げるために積み上げられる石たちである私たちキリスト者です。

 

教会の基礎=イエス・キリスト

 

ペテロはここで、まず、「霊的な建物の礎石は、生ける石である主イエスである」と語っています。また、続く6-7節では、旧約聖書を引用してそのことをさらに詳しく語っています。


原文の語順に沿うなら、まずは「石(岩)」ですが、石というのは、確かさ、揺るぎなさ信頼性を表すシンボルとして聖書に度々登場します。

 

主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。(申命記32:4)

 

主イエスは、何があってもビクともしない、私たちが全面的に信頼して拠って立つことのできるお方です。教会は、このようなキリスト理解をもとに建てられていく必要があります。


しかし、この箇所で、キリストは単なる石ではなく「生ける石(生きている石)」であると言われています。この「生ける〜」という言葉は、いわゆる生物学的な命を差す言葉とは違う言葉で、神との関わりによって生きる命永遠の命を意味します。あるギリシャ語辞典では、この語を「生命力を持ち魂に命を与える生ける水」とも説明しています。

つまり、生ける石であるイエス様は、揺るぎない確かなお方でありながら、硬直した冷たいお方ではなく、命に満ちたお方です。それも躍動する神の命、死を打ち破る復活の命で潤い、満ち溢れているお方であるということです。


さらにペテロは、このイエス様を「人には捨てられた石だ」とも説明しています。この「捨てられた」という表現は、間違って捨てたとか、不注意で無くしてしまったということではなく、いろいろ調べた上で拒絶されたという意味です。このお方は犠牲になられたお方です。

 

しかし、父なる神様はこのお方を人々が見るのとは別な目でご覧になっていました。ペテロは「神の目には、選ばれた、尊い...」と記しています。このお方は尊いお方です。


このお方を「いらない」と捨て、十字架にかけたのが私たちの罪です。にもかかわらず、このお方は、その私たちを赦すためにとりなし、ご自身の命をもって代価を払ってくださいました。なんという恵み深いお方でしょうか。それだけではなく、私たちの揺るがない土台となって下から支え、命の生ける水をもって潤してくださっています。


教会が建て上げられていくため、また、教会が再生されていくために必要な基礎は、この主イエスご自身です。このお方をどのように知り、どのように理解し、どのように信頼していくかということが、教会を決めます。


だから、教会を再生しようと思う指導者たちは、イエス様がどのようなお方であるかが鮮やかに浮かび上がるようなキリスト中心の説教を講壇から語っていく必要があるし、その指導者自身が、このイエス様をより深く知り、より強く愛していくように変えられ続けていく必要があります。

 

教会の全ての集会、奉仕においても、このキリストが土台、キリストが中心となるように意識しながら教会形成をしていきたいと思います。また、このキリストに関する知識こそが、教会の一致の基礎にもなります。好みや意見が違っても、キリスト理解にあって一致するのです。

 

ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。(エペソ4:13)

 

 

 

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教会の建材=一人ひとりのキリスト者

 

礎石だけで家は建ちません。この主イエスという生ける石の上に、幾つもの石が積み重ねられて霊の建物が建て上げられていきます。それが「あなたがたも生ける石として...築き上げられなさい」と語られていることの内容です。

 

ここで二度目に出てくる「生ける石」という言葉は、一度目とは違って複数形で書かれています。つまり、「あなたがたキリスト者は、生ける石々、生ける石たちになって、霊の家を建て上げていく建築資材、壁の一部分になっていくんだ」という話です。


前回の記事の註に以下の内容を記しました。

 

①みことば(福音)が語られる(1:23-25)
②新しく生まれる人が起こされる(1:23-24)
③みことばの乳に飢え渇き、慕い求める(2:2)
④成長する(2:2)
⑤教会(霊の家)の形成、建築が起こる(2:4-5)
⑥神の民としての特権を生きるようになる(2:9)
⑦驚くべきみわざを宣べ伝える(2:9)

 

これはペテロの手紙第一1-2章にある「霊の家の設計図」の一部であり、①から⑦まで行くとまた①に戻り、サイクルしていきます。

 

みことばが語られ、それを聞いてある人が新しく生まれ、御言葉の乳を慕い求めるようになります。御言葉によってその人は変化し、成長して、キリストの命・恵みに満たされた者となり、キリストに似た者になっていく...。

 

従来の教会では「礼拝出席、献金、奉仕」といったものが重要視されてきたように思います。確かにそれらのものは大切ですが、しかし、表面的・外面的な行動にとどまらず、その人自身の心の深い部分がキリストにあって変えられていく必要があるのです。

 

そのような、生ける礎石であるキリストの影響を受けた小さな「石々(キリスト者たち)」が互いに組み合わさって神の家を築き上げていきます。

 

自己中心で横暴な石、短気で怒りっぽい石、傲慢な石、感謝よりも不平の多い石、冷淡な石、教会と家庭での顔が違う石などが教会を構成するなら、教会の中に冷たい隙間風が吹いたり、ちょっとした事で揺らいだり、崩れたりしてしまいます。

 

これは、一人ひとりの信徒が礎石であるキリストの影響を十分に受けていない状態です。信仰を持ったとしても、ほとんど成長することなくそのままの状態でとどまっていたり、はじめの愛から離れてしまっている状態のクリスチャンたちが集う教会は、(2)の記事で書いたような病気の教会です。

 

さらにいうと、「本当の意味でキリストのものとされていない人が、教会(見える教会)の構成員になってしまう」という問題も現実にあります。C.H.スポルジョンも「未信者の教会員」がいることをよく語っていましたが、「救いが曖昧な状態な人」を教会があまりにも拙速に信徒として受け入れてしまうということがあるのです*1

 

このことの背景には、教勢、受洗者数に関する焦りもあるように思います。残念なことですが、ある牧師が「気が変わらない内に洗礼を授ける」と言っていたのを聞いたことがあります。このような考えが、かえって教会の弱体化につながっていると私は考えています。

 

このことについては改めて別の記事で扱いたいと思いますが、これは、教会の“壁”の一部が、生ける石ではない別の資材で築かれている状態であるといえるでしょう。

 

 

明確な救いと着実な成長を目指して

 

上で述べたように、教会の建て上げは、人の「救い」と「成長(成熟)」にかかっています。確かに救われ、キリストの影響を受けながら一歩一歩成長している信徒たちが資材となって、健やかな教会は築き上げられるのです。

 

これは一朝一夕にできることではありませんが、しかし、それが実際に起こっていくことを牧会理念の中心にし、それに基づいて教会の組織構造、伝道や成長のためのプログラムを意図的に作り上げていく必要があります。何よりも、このことが起こっていくために聖霊の助けを求めて祈ることが重要です。

 

 

 

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*1:その人が救われているか否かを我々人間が100%確実に知ることはできないでしょう。「あの人は本物のクリスチャンでない」「救われていない」などと軽々には言うべきではありません。しかし、あまりにも安易に「あなたはクリスチャンです」とも言うべきではないのです。

 

「…キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」(ローマ人への手紙8章9節)

 

キリスト者は、聖書の語る神がどのようなお方であり、このお方に対して自分がいかに罪深い存在であるか、その罪人に対して神が何をしてくださったかという基本的な事柄を知っている必要があり、そのことを悔い改めと感謝をもって心から受け入れている必要があります。さらには、イエス・キリストを人生の主として生きていくことを理解し、告白する必要があります。そのことを確認するためには、一般的に言って相当回数の学びやカウンセリング的な面談が必要でしょう。牧師と2-3回面談して洗礼を受けたとか、「愛の神に見守られていると感じたので洗礼を受けた(十字架の意味は分からない)」といった例をあまりにも多く見聞きするので、私は心を痛めています。また、“簡単に”福音を語った後で「私の後について祈ってください」と導いて、いわゆる「救いの祈り(Sinner's prayer)」を“させる”ことにも私はいろいろと考えるべき問題があると考えています。