道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

教会の再生と牧会理念(6-最終回-)〜霊的な建物の特殊工法〜

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これまで、霊的な建物の設計者、資材、目的について学んできました。教会の設計者は神であり、建築資材はキリスト(生きた礎石)とキリスト者一人ひとり(生ける石たち)です。そして、その建築目的は、神ご自身の喜びにあり、神ご自身の栄光です。健全な教会は、感謝しつつ、喜びつつ、自発的に自分たちを神に捧げる姿をもって神の栄光を現します。

 

さて、そのような教会はいったいどのように建て上げられるのでしょうか。今回は、教会を建て上げる工法についてです。

 

「霊の家」という建物は特殊工法で建てられます。それはこの世の中のどの組織、集団とも違う築き上げられ方です。もう一度、この箇所を読んでみましょう。

 

「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(1ペテロ2:4-5)

 

築き上げられなさい

 

この4-5節の中心となる動詞は「築き上げられなさい」です。これは「築き上げなさい」ではありません。受け身の命令形です。ペテロは教会に対して「築き上げられなさい」と、もっと言うと「築き上げられ続けなさい」と語りかけています。

 

 

ここで言われていることは、私たち人間が教会を建て上げるのではないということです。主ご自身が教会をお建てになるのです。

 

「…わたしはこの岩(=イエスが生ける神の御子キリストであるという信仰告白)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18)

 

イエス様が「わたしは…教会を建てます」と語っておられるのです。みなさんの連なる教会を、主ご自身がお建てになり続けています。私たちはこの大工さんを信頼し、この匠の手に自分たちをしっかりと委ね続ける必要があります。

 

じゃあ、私たちは受け身で何もしないでボーッとしていればいいのでしょうか?「ペテロ先生、そうなんですか?」と尋ねたくなるかもしれません。

 

主に委ねるとは、ボーッとして何もしないことではありません。もう一度、3節から読んで見ましょう。

 

主のもとに来なさい

 

「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。…」(1ペテロ2:3-4a)

 

主のもとにきなさい」というこの御言葉は、イエス様をまだ知らない人々に語られているものでしょうか。違います。

 

ペテロはここで、既に主に出会い、主の慈しみ深さを味わっている人々に対して「主のもとに来なさい」と語っています。

 

これは「もう一度、あるいは、もう一歩、さらに主のもとに来なさい」ということです。

 

この「来なさい」という表現は、ただ物理的に来るというだけではなく、親密で個人的な交わりの中に入ってくるということを意味しています。これが、霊の家が「築き上げられる」ことの秘訣です。

 

イエス様ご自身が私たちの内に住んでくださり、私たちの内で生きて下さり、私たちを通してご自身の命を溢れさせてくださる…。

 

これが教会再生の秘訣です。教会は、私達自身が懸命に歯を食いしばって築き上げるものではありません。

 

しかし、残念ながら、そういう勘違いをしやすいということもまた事実です。

 

勘違い、挫折、再出発

 

シモン・ペテロも大きな勘違いをしていた一人でした。彼が信じていたのは自分の頑張り、自分の熱心さだったと言えるでしょう。

 

「…わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18)

 

この時、彼はイエス様の言われた意味がよく分からなかったでしょう。この頃の彼のスタンスは「主よ、私がやります!私が一番弟子です!私が命を捨ててあなたに従います!」でした。

 

意気込みは良いのですが、彼が信じていたのは自分自身でした。

 

でも、みなさんご存知のとおり、彼は後にイエス様という石につまずき、イエス様という石を捨ててしまいます。そして、挫折と恥ずかしさと罪悪感のどん底で、イエス様の十字架を仰ぎ見るのです。

 

復活なさったイエス様はガリラヤの岸辺に現れました。

 

そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。(ヨハネ21:7)

 

ペテロは、自分が主を裏切ってしまったという情けなさや気まずさをまだまだ引きずっていたことでしょう。それでも、主の元に行きたいという思いで水に飛び込みました。


そして、イエス様は彼と焚き火を囲んで、優しく声を掛けられます。

 

「私を愛するか?」

 

「私の羊を飼いなさい」

 

このやりとりが彼に人生の再出発を与えます。自分で何かを築き上げる歩みではなく、築き上げられ続けていく人生のスタートです。

 

さらにはペンテコステの日に聖霊を受け、力に満たされて立ち上がるのです。

 

ペテロは生涯を通して、完璧な人にはならなかったでしょう。愚かな判断や罪深い行動も、完全に無くなったわけではありません。

 

しかし、彼はそのたびに主に立ち返ることをしました。もう一度、「主のもとに近づく」ことをし、主の慈しみ深さを味わい直し、そこからやり直したのです。

 

「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。…」(1ペテロ2:3-4a)

 

私自身の経験も…

 

私自身のことを見つめる時にも、同じようなことを経験させてもらっているなと感じています。

 

もう何年も前に、私は様々なトラブルで疲弊しきっていた教会の牧師になりました。神様が用いて下さって徐々に人が救われるようになり、教会が成長してきました。

 

しかし、様々なことで揺さぶられ、打ちひしがれて「もう立ち上がれない」と思ったこともありました。それでも、神様は諦めず働きかけ続け、語りかけ続けてくださり、「来なさい」「来なさい」と招き続けてくださいました。

 

私にできたことは、これだけです。まだまだ十分にイエス様に似ていない私のままで、イエス様に似ても似つかない愚かさや弱さを抱えたままで、何度でも立ち返り、慈しみ深いイエス様に近づいていく…。

 

そこで深い恵みを再体験し、新しい力を得て、もう一度立ち上がらせていただく経験をするのです。

 

皆さん、一緒にそのことをしていきましょう!

 

このことこそが、神様の設計図通りの教会を建て上げていく秘訣であり、生ける石キリストに似た石となっていく秘訣であり、祭司として自ら進んで神に全てを捧げていく秘訣なのです!

 

教会の再生と牧会理念(1) - 道奥 MICHINOKU せみなりお

教会の再生と牧会理念(2) - 道奥 MICHINOKU せみなりお

教会の再生と牧会理念(3)〜霊的な建物の設計者〜 - 道奥 MICHINOKU せみなりお

教会の再生と牧会理念(4)〜霊的な建物の資材について〜 - 道奥 MICHINOKU せみなりお

教会の再生と牧会理念(5)〜霊的な建物の建築目的〜 - 道奥 MICHINOKU せみなりお

 

 

 

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