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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ルカ2章57節-3章6節

ルカ

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ここでは、祭りの慣習を守るヨセフとマリヤの姿が見受けられます。

 

ユダヤ人たち、特に成人男性は、過越(すぎこし)の祭り、七週の祭り(五旬節、ペンテコステ)、仮庵(かりいお)の祭りを祝うため、エルサレムに巡礼をすることになっていました。その中でも、出エジプトの出来事を記念するための過越の祭りは特に重要でした。

 

十三歳で成人するユダヤ社会では、十二歳と言えば大人の一歩手前です。敬虔な家族は、十歳から十二歳の間の子どもを連れて巡礼をし、祭りのしきたりを覚えさせることが習慣となっていたようです。子どもたちにとって少し「背伸び」が必要な事柄であったとしても、それは主を恐れ敬うことを学ぶ上でとても意味がありました。ここでも、ヨセフとマリヤが神ご自身を中心に家庭を築こうとしていたことが分かります。


主の家にとどまる

祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。(2:43)


現代であれば「無責任な親だ!」とひんしゅくを買うかも知れませんが、この当時、同じ地域から大勢の人々が一緒に巡礼の旅をしていました。ここに出てくる「一行」は「キャラバン」「大きな一団」を意味することばです。ヨセフもマリヤも「どこかにいるだろう」と思ってしまったのでしょう。少年イエスは両親に反抗したり、イタズラ心からエルサレムにとどまったのではありません。49節にもあるように父なる神の家とされるエルサレム神殿は、御子にとって特別な場所でした。


この時の少年イエスの心を思うとき、あのダビデが歌ったこの賛美を思い出します。

 

私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。(詩篇27:4)

 

ダビデは、宮*1での礼拝を何よりも喜びとしていました。彼は「ここにいることが何よりも嬉しい」「主の臨在の中で、主の麗しさを賛美し、主を思うことは何よりも幸せだ」と告白しているのです。ダビデの子としてお生まれになった主イエス様もそうでした。そして、私たちも、同じような心でチャペルでの礼拝に集い、また、個人的な生活の中でも主の臨在を求めていきたいと思います。


主の家で学ぶ


さて、両親は息子を探しながらエルサレムまで引き返しました。

 

そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。(2:46-47)


教師たちという言葉が出てきますが、主イエスの敵対者としての「律法学者」を指すことばとは異なり、ここでは「ディダスカローン」という言葉が用いられています。これは「本当の意味での先生・教師」という意味の言葉で、この箇所以外では、イエス様を「先生」と呼ぶときにしか使われない言葉です。

 

つまり、この箇所は、神の御子がへりくだって「生徒」になって学んでおられることを記録しているのです。これは御子のへりくだりを示しています。それと同時に、この生徒は、教師たちや両親が驚嘆するような知恵をもった子どもでした。ここにも、主が完全に人間であられ、完全に神であられるということが示されています。


私たちは良い生徒でしょうか。「教えられたい」と思っているでしょうか。周りの人々に対して、そして、何よりも神ご自身とそのみことばに対して「教えてください」とへりくだる者でありたいと思います。主はそのようなひとりひとりを豊かに成長させてくださいます。

 

イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。(2:52)

 

みことばが下る


3章の冒頭で、医者ルカは六つもの事実を挙げて、自分が書き記している福音書の歴史的な正確性を強調します。その上で彼はこう記しました。

 

神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。(3:2)

 

神のことばは、皇帝や国主、領主や大祭司ではなく、荒野にいたヨハネに与えられました。みことばを聴くのに社会的な立場は関係ありません。また、荒野は孤独や試練を象徴することが多い場所ですが、試練の中でこそみことばがはっきりと迫ってくることも、信仰者の人生によく見られることです。

 

みことばは“下り”ました。神のことばは、私たちと同じレベルから来るのではなく、上から来ます。そのようにみことばを受け止める人は、みことばを聴くだけにとどまらず、動き出します。ヨハネは、彼に下ったみことばに動かれ、預言者としての活動を始めました。

 

また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(ヤコブ1:22)

 

【動画】イスラエル人の賛美リーダー、ジョシュア・アーロンと子どもたち


Joshua Aaron and Sons singing "You Are Holy ...

 

 

*1:ダビデの時代は神殿ではなくまだ幕屋だった。