道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧

ルカ20章1-18節

並行記事の解説を参照してください。 ディボーション:マタイ21章 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ11章27節-12章12節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ11章27節-12章12節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお #34新約聖書の四福音書を照らし合わせると明らか…

ルカ19章28-48節

並行記事の解説を参照してください。 ディボーション:マタイ21章 - 道奥 MICHINOKU せみなりお ディボーション:マタイ21章 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ11章1-25節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ11章1-25節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお

ルカ19章1-27節

定められていた救い 取税人のかしらであったザアカイの名前は「正義の人」という意味でした。しかし、その名前とは裏腹に、彼は人からお金をだまし取って私腹を肥やすような生活をしていました。

18章18-43節

子どものような信仰 福音書記者は、主が「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」と語られたことを記した後、「ある金持ちの役人」と主イエス様とのやりとりについて語ります。この「文脈」を意識しながら読…

ルカ18章1-17節

あきらめない祈り 主は「いつも祈るべき」であり「失望してはならない」ということを教えるために、一つのたとえを話されました。

ルカ17章11-37節

主は、十人のツァラアトに冒された人を癒されました。しかし、十人の内、主に感謝を伝えに戻って来たのは、一人のサマリヤ人だけでした。恵みを受けている人々は多いのですが、それゆえに神をあがめるという人はあまりにも少ないのです。

ルカ16章19節-17章10節

死後の世界について 主は「律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしいのです。」(16:17)と語られ、続いて一つのたとえをお話しになりました。

ルカ16章1-18節

抜けめのない光の子になろう 主はパリサイ人たちに三つのたとえを語られた後、今後は弟子たちに向かって一つのたとえをお話しになります。それは「不正の富を用いる管理人」のたとえです。これはなかなか理解するのが難しいたとえだと言われていますが、中心…

ルカ15章

15章には、非常に有名な三つのたとえ話が記録されています。このたとえの背景は、当時「神の国にふさわしくいない」と見なされていた取税人、売春婦などが主イエス様のもとに集まっていたことにあります。 主は彼らが神に立ち返ろうとするとき、それをあたた…

ルカ14章12-35節

「人からの見返り」vs「神からのお返し」 「友人、兄弟を招いてはいけない」というのはユダヤ文化独特の「誇張表現」です。日本語の「ほっぺたが落ちそう」が、文字通り頬が落ちるということではなく「美味しい」という意味であるのと同じです。 ここでは「…

ルカ13章22節-14章11節

「狭い門」と「広い道」のどちらが福音か? 十字架へと向かって進まれる主イエス様に、ある人物が質問をしました。それは「主よ。救われる者は少ないのですか」という問いでした。それに対する主の答えは、とても有名なみことばです。 「努力して狭い門から…

ルカ13章1-21節

因果応報?自業自得? 弟子たちを教えておられる主のもとに、人々がやってきて報告をします。それは、神殿に礼拝にいったガリラヤ人がなんらかの理由でローマ総督ピラトに虐殺されたというニュースでした。

ルカ12章41-59節

忠実な賢い管理人 ペテロは、一連のたとえ話が自分たち弟子集団に向けられたものなのか、それとももっと普遍的な内容なのかを尋ねました(41節)。

ルカ12章22-40節

心配するな! マタイの福音書の山上の説教にも「衣食のことを心配するな」という内容がありました。主は、同じような内容を繰り返しお教えになっていたことでしょう。

ルカ12章1-21節

偽善に注意! パリサイ人をやり込めた主のもとに、おびただしい数の群衆が集まって来ました。しかし、主は群衆ではなく、弟子たちに語りかけます。主は三年半の公の生涯の後半部分を主に「弟子訓練」に費やされました。 「パリサイ人のパン種に気をつけなさ…

ルカ11章29-54節

ヨナのしるし 当時のユダヤ人たちは、主がご自身のメシヤ性を証明する奇跡をなさったのを目の当たりにしました。しかし、それを見ても真の意味で主イエス様をメシヤとして受け入れる者はなく、完全に否定するか、単に偉大な奇跡やご利益を期待するかといった…

ルカ11章1-28節

主の祈りと弟子の祈り さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」(11:1)

ルカ10章25-42節

有名な「善きサマリヤ人のたとえ」「マルタとマリヤのエピソード」です。これらの記録は、ルカの福音書だけに記されています。

ルカ10章1-24節

ルカ10章から「収穫のための働き手」について学びましょう。まずは、収穫の場であるこの世界がどんな世界かを確認したいと思います。

ルカ9章37-62節

前半はマルコの並行記事の解説を参照してください。 マルコ9章14-32節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ9章14-32節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお 真の救いのために心を定める主 さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こう…

ルカ9章18-36節

マルコの並行記事を参照してください。 マルコ8章11-38節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ8章11-38節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ9章1-13節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ9章1-13節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお

ルカ9章1-17節

マルコ6章の並行記事を参照してください。 マルコ6章1-29節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ6章1-29節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお

ルカ8章26-56節

マルコ5章の並行記事を参照してください。 マルコ4章35節-5章20節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ4章35節-5章20節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ5章25節-43節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ5章25節-43節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお

ルカ8章4-25節

マルコ4章の並行記事を参照してください。 マルコ4章10節-34節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ4章10節-34節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ4章10節-34節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお マルコ4章10節-34節 - 道奥 MICHINOKU せみなりお

ルカ7章36節-8章3節

さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。(7:36) このパリサイ人の動機は、真の意味で主と交わりを持ちたいという願いではありませんでした。そのことは後になって分かります。

ルカ7章18-35節

今日は、投獄されていたバプテスマのヨハネと主イエス様とのやりとりから「つまずかない者は幸い」ということについて考えてみましょう。あるときバプテスマのヨハネは、彼の弟子たちを通して主イエス様についての報告を聞きました。

ルカ7章1-17節

主が再びカペナウムの町に入られると、ある百人隊長から主のもとに使いの人々が来ました。彼のしもべがひん死の重病で苦しんでおり、主イエス様のうわさを聞いて助けを求めてきたのです。

ルカ6章27-49節

究極の生き方 「あなたの敵を愛せ」「あなたを憎む者に善を行え」「頬を打つ者にはもう一方の頬を差し出せ」「返してもらうことを考えずに貸せ」などなど、実に16もの命令がなされています。地上において、これらの命令通りの生き方をなさったのは主イエス様…

ルカ6章6-26節

何に注目するのか 6章のはじめから、ルカは「安息日」に焦点を合わせています。1-5節は、弟子たちが安息日に麦畑で穂を摘んだことについての論争でした。パリサイ人たちは、安息日の本質である主ご自身との交わりを忘れ、その日は絶対に労働をしないという「…

ルカ5章27節-6章5節

主のための宴会を開く 当時の取税人は、ローマ帝国やガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの手先になって人々から高い税金をむしり取り、しかも、余計に取り立てた分を自分のふところに収めていました。