道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ヨハネ12章

前章から少しの時を経て、いよいよ十字架が近づいてきます。この箇所は、いわゆる「受難週」に入る直前にベタニヤ村のある家で起こった出来事を取り上げるところから始まります。

ヨハネ11章

エルサレム郊外のベタニヤ村にいるマリヤ、マルタ、ラザロの三人姉弟は、主イエスと懇意にしていました。しかし、ラザロが重い病になり、瀕死の状態になりました。主イエスは、歩いて数日かかる場所におられました。

聖書は…

「聖書は、救いを与える知識、信仰、従順、すべての、唯一の完全、確実、不可謬*1(ふかびゅう)の規範である…御霊の新しい啓示によるものであれ、人間の言い伝えによるものであれ、何ものも、いかなる時にもこれに附け加えられてはならない。…聖書解釈の不…

ヨハネ10章

「まことに、まことに」(原語ではアーメン、アーメン)とは、主イエスが重要な内容をお話しになるときの合言葉のようなものです。

ヨハネ9章

生まれつきの盲人の癒しの記事ですが、ここにはいくつかの重要な霊的なテーマが含まれています。

自称“イスラーム国”による日本人殺害予告について

多くの方々が「ついにこのような時が来てしまったか」と感じていることでしょう。

ヨハネ8章21-59節

世の光である主イエスは、この箇所で非常に内容の濃い、長い説教を語っておられます。特に扱っておられるテーマは「人間の罪という闇」(21-40節)、「悪魔という闇」(41-50節)、「死という闇」(51-59節)です。

ヨハネ8章1-20節

有名な「姦淫の女」の箇所です*1。律法学者、パリサイ人らが、姦淫の罪によって“現行犯逮捕”された一人の女性を連れてきます。 *1:この箇所(括弧でくくられている)は、多くの写本においてヨハネ福音書の一部として伝えられてきたが、写本研究(本文批評)…

天国から帰ってきた少年!?

数年前、「自分は一度死んで天国を見て来た」という少年の証言をもとに「The Boy who came back from heaven」という本が書かれました。著者はその少年と父親です。しかし、数年の時を経て、少年が自身の証言が虚言であったと告白したニュースが報じられてい…

ヨハネ7章25-53節

主イエスは宮で人々を教えているとき、大声でこう言われました。

ヨハネ7章1-24節

久々の更新です。冬休みを経て、その後、ビジョンリトリートのためにある場所にこもり、じっくりと祈りと黙想の時をもって帰ってきました。さて、ヨハネのディボーションですが、この7章は、主イエスが十字架に架けられる約半年前の秋に行われた「仮庵の祭り…

冬休み

新年早々ではありますが、私の冬休み(お正月休み?)のためしばらく記事の投稿はお休みするつもりです。ヨハネの福音書、最近メッセージで取り上げた箇所も多いですね。続けて味わっていきましょう。

ヨハネ3章1-21節

2章の後半にはこのようなことが記されています。 イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。 (2:23)

ヨハネ2章1-25節

これは主イエスの行われた最初の奇跡であり、主イエスが来られたことによって新しい時代が始まったことを告げる重要な意味を持っています。 ※ 写真は「カナの婚礼教会」に向かう通り。

ヨハネ1章35-51節

バプテスマのヨハネの弟子であった二人は、主イエスの弟子となります。これは「師匠を乗り換えた」とも見えますが、ヨハネはそのことに不満や文句を言いません。

ヨハネ1章19-34節

バプテスマのヨハネは、メシヤの道備えをするために神から遣わされた人物です。彼は人々の霊的関心を刺激しました。しかし、彼は人々の注目が自分に向くことを拒み、それを主イエスご自身へと向けました。

ヨハネ福音書1章1-18節

あけましておめでとうございます。みなさん、神様、今年もよろしくお願いします。さてさて、これから読み始めるヨハネの福音書1章は、新年にとてもふさわしい箇所ですね。さあ、味わってみましょう。