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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ルカ23章39節-24章12節

ルカ

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主イエス様の両隣にはりつけにされた二人の強盗のうち、一人は主を呪って死に、一人は主に憐れみを求めて死んでいきました。

 

永遠の行き先を決める告白

「悪い強盗」「良い強盗」の二種類がいたということではありません。二人ともどうしようもない極悪人であり、神の前に罪人でした。最後に憐れみを求めた方の強盗もマタイ福音書27:44を見ると、その直前まで主をののしっていたことがわかります。しかし、彼は死の直前に悔い改めて、三つのことを言い表しました。そして、それが彼らの「永遠の行き先」を分ける告白となりました。


一つ目の告白は「自分は刑罰を受けて当たり前の罪人だ」ということ、二つ目は「十字架の主イエス様は、神の国で王座に着かれるメシヤだ」ということ、三つ目は「思い出してください(憐れんでください)」という願いです。

 

この三つの告白により、彼は「パラダイス」に入れられる約束を受けたのです。彼は特別な善行を積んだ訳でも、儀式を行った訳でもありません。なんとシンプルで、なんと寛大な「救い」でしょうか。救い主をほめたたえます!

 

イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(23:45)

 

神殿の幕が裂けた!

強盗、百人隊長、群衆たちは、十字架に架かられる主の姿を見たとき、何らかの形で心を動かされます。ある人は信仰に導かれ、ある人は驚き怪しみ、ある人は衝撃を受け、ある人はすでに抱いていた信仰を強められました。主の亡骸の葬りを引き受けたアリマタヤのヨセフもそうでした。

 

彼らはそれ以前にも、当時「みせしめ」として行われていた十字架刑を見たことがあったでしょう。しかし、主は、それらのどれとも異なる様子をしておられたはずです。主が息を引き取られるとき、神殿のたれ幕は真っ二つに裂けました。

 

神殿の幕は、神の臨在がある「至聖所」と聖所とを隔てるための分厚い大きな布でした。その幕がイエス様の十字架の死と同時に突然裂けたという事実は、私たちと神様との間の隔てが取り除かれ、私たちが「アバ(お父ちゃん)」と呼びかけることのできる新しい時代がやって来たことを示しています。御子イエス様が私たちの身代わりに見捨てられたことによって、私たちが神の子とされたのです。(当ブログ、マタイ福音書27章の解説より)

 

 

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