道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第一列王1章

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第一列王記は、ダビデの晩年の記録から始まります。この書は英語で「Kings」と呼ばれ、まさに王たちの歴史を綴った書です。また、通称「分裂の書」とも呼ばれ、1-11章のソロモンの治世が終わると、あっという間に王国は「北イスラエル」と「南ユダ」に分かれてしまいます。

 

ダビデが老いて衰弱したのを見て、四男のアドニヤが反乱を起こします。兄のアムノン、アブシャロムは既に死に、詳しい記録のないキルヤブも恐らく死んでいたと思われます。ダビデは素晴らしい信仰の勇士であり、リーダーであり、礼拝者でしたが、完璧な人物ではありませんでした。特に家庭生活という面では大きな欠けを抱えており、姦淫の罪、子育ての失敗は顕著でした。

 

(ダビデは)彼が生れてこのかた一度も「なぜ、そのような事をするのか」と言って彼をたしなめたことがなかった。(1:6, 口語訳)

 

「叱らない子育て」を提唱している人々がいますが、それは誤りです。十分に愛情を表現することは大切ですし、「怒らない(感情を爆発させない)」ようにすることも大切ですが、子どもはしっかりと叱られる必要があります。なぜなら、子どもも罪人であり、愚かだからです。

 

愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。(箴言22:15)

 

甘やかすことは真の愛ではありません。むしろ、甘やかしは、子どもを憎む行為とさえ言われているのです。「甘やかし」「怒り」には努力がいりませんが、しかし、冷静に一貫性をもって「叱る」ことには努力が必要です。

 

むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。(箴言13:24)

 

急に頭を叩いたり、殴ったりすることは決してしてはなりません。よく説明した上で、安全なお尻を「しばらくは痛い」という程度の力で叩くべきです。実は「お尻ペン(スパンク)」のルールをしっかりと持っていることによって、突発的な暴力や虐待が抑制されます*1

 

子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。(箴言23:3)

 

さて、アドニヤが反乱を起こしたとき、それに加担する者たちが表れました。王が弱っている今がチャンスと考えたのでしょう。しかし、形勢を見て勝ち馬に乗ろうとするような生き方を神は祝福なさいません。神が立てられた権威を尊び、忠実に歩もうとする者たちに神は目を留められます。


ダビデ王は弱っていましたが、それでも正気を失ってはいませんでした。預言者ナタンの見ている前で、ソロモンの母バテ・シェバに対してこう宣言します。

 

王は誓って言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。私がイスラエルの神、主にかけて、『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に着く』と言ってあなたに誓ったとおり、きょう、必ずそのとおりにしよう。」(1:29-30)


ソロモンが跡継ぎになるという誓いは、1歴代誌*2に記されています。

 

ダビデはソロモンに言った。「わが子よ。私は、わが神、主の御名のために宮を建てようとする志を持ち続けてきた。ある時、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わたしは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。彼がわたしの名のために家を建てる。彼はわたしにとって子となり、わたしは彼にとって父となる。わたしはイスラエルの上に彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。』」(1歴代誌22:7-10)

 

ダビデはこの約束を忘れていなかったのです。ソロモン(シェローモー)という名前は「シャローム(平和)」などと同じ語根を持つことばです。このソロモンに油が注がれ、任命が宣言されると人々は大いに喜び、騒ぎました。それを聞いてアドニヤらは恐れおののきます。取り巻きたちは逃げ去り、アドニヤは祭壇の角をつかみます。これは、神聖な祭壇の前では処刑されることがないというならわしがあったためです。

 

すると、ソロモンは言った。「彼がりっぱな人物であれば、彼の髪の毛一本でも地に落ちることはない。しかし、彼のうちに悪があれば、彼は死ななければならない。」それから、ソロモン王は人をやってアドニヤを祭壇から降ろさせた。彼がソロモン王の前に来て礼をすると、ソロモンは彼に言った。「家へ帰りなさい。」(1:52-53)


平和の王、ソロモンは寛大な処置を選択します。この時点でのソロモンの年齢は、1世紀のユダヤ人歴史家ヨセフスによれば15歳、現代の学者たちは20歳前後であると考えています。

 

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*1:<再掲> 現代において「子どもを絶対に叩いてはいけない」という考えが親たちを束縛しているのではないだろうか。そして、結局は「叩いていけないと思っているのにひどく叩いてしまう」というケースがあまりにも多く報告されている。

 

どんな状況で、どんな表情と態度で、どんな強さで、どんな叩き方で、どこを叩いたかということを問題にせず、一律に「絶対に叩いてはいけない」というのは、控えめに言っても「かなりおおざっぱな話」である。もちろん、安易に「叩いても良い!」と発言することは誤解を招きかねないが、しかし、「正しい叩き方がある」と信じるものである。「愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。」(箴言22:15)

 

ここでは、ダラス神学校出身のチップ・イングラム氏による、スパンク(お尻ペン)についてのガイドラインをアレンジして掲載しておく。①事前にはっきりと警告する(〜をしたらスパンクだよ)、②子供に責任を理解させる(“自分”が“警告を敢えて無視したから”スパンクされることを説明して理解させる)、③公衆の面前で恥をかかせない(別室で行う)、④罪に対する悲しみを伝える(怒りや、その子の存在に対する嫌悪・失望ではなく)、⑤手首をすばやく動かして叩く(少しの間、痛みが残るぐらい強さ。叩く箇所は、お尻“のみ”)、⑥罪を心から悔いる思いへと導く(「神様にごめんなさいしよう」と子どもを先に祈らせ、その後、親が祈ってあげるのが良いだろう。)、⑦無条件の愛と赦しを伝える(ハグしてあげるのが良い。あなたのことを大切に思っているから叱るんだよ、と伝える。)

http://www.focusonthefamily.com/parenting/effective_biblical_discipline/effective-child-discipline/biblical-approach-to-spanking.aspx

 

このような対応の方が、いつまでも不機嫌な態度や無視をすることで子どもを“コントロール”しようとすることよりもずっと健全である。また、「叩いちゃいけない」と我慢をしながら、ついには爆発して突発的に顔や腹部などを強打することよりも何百倍も健全である。

 

*2:歴代誌は、サムエル記や列王記に記されている出来事を繰り返して記述しているが、加筆や省略を加えることで歴史を立体的に見ることができるよう導いてくれる。