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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ヨハネ1章35-51節

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バプテスマのヨハネの弟子であった二人は、主イエスの弟子となります。これは「師匠を乗り換えた」とも見えますが、ヨハネはそのことに不満や文句を言いません。

 

むしろ彼はそのために働いていたのです。彼の活動、語る言葉、人生のすべてが人々をキリストに導くためでした。クリスチャンの親や教会のリーダーたちは、子育てや教会の働きの中で自分の弟子を作るのではなく、主イエスの弟子を育てることを目指します。牧師である私自身もバプテスマのヨハネと共に「見よ、神の小羊」と叫び続け、主イエスの弟子を育成する者でありたいと願います。

 
この二人の内のひとりは、あのシモン(ペテロ)の兄弟アンデレでした。あまり目立つことのないアンデレが、あのペテロを導いたことは意外です。
 
彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言った。彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。(1:41-42a)
 
アンデレは自分がキリストと出会ったことを話し、シモンを主イエスのもとに連れて来ます。彼は救いについての詳しい説明や神学的な解説ができたわけではありません。でも、「俺はキリストに会った!とにかくお前も会ってみろ!」と言ったのです。これほどシンプルな伝道はありません。この後出てくるピリポも、同じように「来て、そして、見なさい」(46節)と語って、先入観に凝り固まっている友人ナタナエルを主イエスのもとに導きます。
 
私たちは、自分を主のもとに導いてくれた誰かを思い起こすことができるでしょう。さて、私たちは誰を主イエスのもとに導けるでしょうか。容易ではないかもしれませんが、思い切ってシンプルな行動を起こしたいと思います。