前章から少しの時を経て、いよいよ十字架が近づいてきます。この箇所は、いわゆる「受難週」に入る直前にベタニヤ村のある家で起こった出来事を取り上げるところから始まります。
惜しみない捧げ物
この家には11章で死からのよみがえりを経験したラザロとその姉妹たちがいました。ここで、ラザロの姉妹マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを主の足に塗り、髪の毛でその足をぬぐいました。これによってその家は香油のかおりでいっぱいになりました。
あのイスカリオテ・ユダは、なぜ香油を売って貧しい人に施さないのかと問いましたが、主イエスはこう言われました。
「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」(7-8)
マリヤの姿は、あるべき礼拝、あるべき献身の姿を示しています。彼女はいつも、自分の損得や場の空気よりも主イエスのお心に注目していました。彼女にとって、精一杯のものを惜しげも無く主に捧げることは当然でした。自分を省みてみると、私たちはユダのように人間的考えをして、他の人々の熱心を冷ややかな目で見たり、水を差していることがあるように思います。
さあ、マリヤに倣おうではありませんか。周りから「えーっ?そこまでするの?もったいないよ」と言われるような生き方をしたいと思うのです。主が私たちのためにお与えくださったものは、私たちがどんなに献身してもし過ぎることがないほどのものなのですから。
受難のメシヤの入城
日曜日になって、主イエスはいよいよエルサレムに入られます。人々はしゅろの枝を取って「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」(13)と叫び、大歓迎をしました。この時は過越の祭りの時期(春)ですが、実は彼らの歓迎の仕方は仮庵の祭り(秋)を思わせるものでした。仮庵の祭りは、メシヤが到来して神の国の統治を始められることと関連しています。彼らは「王としてのメシヤ」を期待していたのです*1。
確かに主は、やがて再臨の日に「王」として来られ、地上に神の国をもたらされます。しかし、メシヤはまず、苦難のしもべ、過越の小羊として到来され、十字架の死を全うする必要があったのです。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(24)
「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」(32)
「地上から上げられる」は、木に架けられてさらし者にされることを示していると考えられます。このことによって、あらゆる種類の人々がまことの救いに引き寄せられるようになったのです。
光のある間に
イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」(35-36)
それぞれの時代、それぞれの人々に「タイムリミット」が設定されています。「いつかしよう」「いつか悔い改めよう」ということではなく、機会をとらえる必要があります。
公生涯のまとめ
37節以下は、主イエスの歩まれた3年半の公生涯のまとめに相当する部分です。この当時のイスラエル人たちは、一部を除き全体としては主イエスを拒絶しました。それはイザヤによって預言されていた通りでした。神ご自身が彼らを霊的盲目にし、かたくなにしておられたと書かれています。
「では彼らが悪いのではなく、神が悪いのではないか?」と考えたくなるかも知れませんが、聖書は、「神の選び」と「人間の自由意志」の二つの面から歴史を語っているのです。
ただし、42-43節には指導者の中でも少なくない人々が主を“信じた”とあります。それでも、彼らの“信仰”はあくまで自分の生活や地位に差し障りのない範囲のものでした。彼らは信仰のために犠牲を払うことはなかったのです。彼らは真の意味で信者だったのかどうか、それははっきりとしませんが、それを詮索する以上に私たち自身の信仰を吟味したいと思います。
私の信仰は、信仰ゆえの犠牲をいとわないものだろうか…。
私は自分自身の心、労力、時間、お金、計画などを、主イエスのために喜んでお捧げしているだろうか…。
主イエスは、一体、私たちに何を捧げ、どれほどの価値の犠牲を払ってくださっただろうか…。
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*1:13節「ホサナ…」は詩篇118:25-26の引用であるが、「イスラエルの王に」は詩篇いない。興奮した群衆が付け加えたものと思われる。