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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ネヘミヤ記2章

ネヘミヤ記

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ネヘミヤは情熱をもって神からのビジョンを受け取り、そのビジョンを明確にし、ビジョンを人々に分かち合い、それを成し遂げて行きます。そのプロセスにおいて大いに用いられたのは、彼がそれまで身につけていた人格的な資質であると考えられます。

 

彼がその人格をどのようにして身につけたのかは、聖書には詳しく書かれてません。しかし、彼はそれまでの人生の中で、神様からの様々な訓練を受け、ビジョン入れてを運ぶことのできる器へと成長していたことが分かります。1章と2章の間に4ヶ月の期間があり、彼がその時間を祈りで満たしていたことも見過ごせない重要な事実です。

 

味方を得る力をもった器

 

ビジョンを成し遂げる時、ひとりぼっちではできません。神様は、私たちを協力し合うようにデザインされました。

 

アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月に、王の前に酒が出たとき、私は酒を取り上げ、それを王に差し上げた。これまで、私は王の前でしおれたことはなかった。そのとき、王は私に言った。「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」(2:1-2)

 

ネヘミヤは祖国の惨状を思って、思わずため息でもついてしまったのでしょう。「しおれ」「悲しい」とは文字通り訳すと「悪い」ということばです。多くの聖書学者が指摘しているように、当時、君主の前では元気が無いことだけで処罰の対象となり、顔色が悪いだけで首をはねられるような世界だったのです*1

 

ネヘミヤのついていた献酌官という地位は王の命を握る存在です。買収されて暗殺などに利用されることもあり得るので、少しでも不審な様子があれば尋問され、場合によっては処刑されることもあったのです。にもかかわらず、ここで王は驚くべきことにネヘミヤを心配をしています。それほどまでに王はネヘミヤを信頼し、目をかけていたのでしょう。

 

その王からの信頼があるので、ネヘミヤは、自分の先祖の墓のある町が廃墟になっていること、そして、それを再建するための旅に出たいということ告げました。すると…

 

王は私に言った。――王妃もそばにすわっていた。――「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」私が王にその期間を申し出ると、王は快く私を送り出してくれた。(2:6)

 

王は「いつ戻って来るのか」と尋ねます。王にとってのネヘミヤは、「勝手に行け。もう帰って来なくても良い」というような存在ではありませんでした。彼は王に必要とされていたのです。この王からの好意は、ネヘミヤが働きを進める上で大きな力となります。

 

あるクリスチャンたちは、ノンクリスチャンと親しくすることや好意を得ることそのものを、この世に妥協することだと考えます。しかし、「この世に調子を合わせてはならないという」という聖書の教えは、御心に反するこの世的な「考え」や「行動」に染まることを戒めているものであり、いうまでもなくノンクリスチャンを敵対視せよという意味ではありません。

 

この世に調子を合わせるという状態は、敢えてネヘミヤに当てはめるならばエルサレムのことを忘れ去ってしまうような状態です。もし王がネヘミヤに対して「エルサレムのことなど忘れよ。イスラエルの神や律法などは捨てされ!」と命じたなら、彼は「主が私の味方である!」力強く抵抗したでしょう。いくら王を味方につけても、主に背くならなんの意味もありません。

 

しかし、そうでない限りにおいて、彼は平和を保ち、誠実を尽くし、信頼を勝ち取りました。このバランスが重要です。主イエスもこう言われました。

 

わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。(マルコ9:40)

 


時を読む力をもった器

 

時を読むことは重要です。ある人が「特大のファウルボールを打つこととホームランとの違いはただタイミングである」と言ったのを聞いて、なるほどと思ったことがあります。伝道者の書に「 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」(3:1)とあるように、すべてのことにはタイミングがあるのです。そして、主イエスが言われるようにその時を見極める目が必要です。

 

… 王は私に言った。「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私はひどく恐れて…(2:2)

 

恐れるのは当然です。死刑になる可能性もあります。しかし、彼は今が時だと判断し、王に対して本心を語り、願っていることをはっきりと大胆にリクエストしました。

 

王に言った。「王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。(2:3)

 

ある学者たちは、この場に王妃が伴っていたことに注目します。ペルシヤ世界において王妃の地位は高く、王は王妃の前で誓ったことを簡単に覆すことができなかったと考えられています。

 

そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。(エペソ5:15-16)

 


神とのコミュニケーション力をもった器

 

ネヘミヤと王とのやりとりの中で見落としてはならないことがあります。

 

すると、王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから…(2:4)

 

ネヘミヤは、ほんの一瞬の間に祈りを捧げます。ふだんから習慣的に行っていることがとっさの時にも出て来るものです。彼は習慣的に、祈りによって神とのコミュニケーションを行っていました。

 

目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。(コロサイ4:2)

 

絶えず祈りなさい。(1テサロニケ5:17)

 

1章にあったように、断食をして集中的に祈ることも大きな意味があります。また、日常生活の中で短く、何度も祈ることも大切です。車を運転しながら、家事をしながら、仕事の合間、会話の中でも私たちは祈ることができます。この祈りの習慣を身につけていたからこそ、ネヘミヤは時を読み、見極めることができたとも言えるでしょう。

 

 

問題を乗り越える力

 

ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤは、これを聞いて、非常に不きげんになった。イスラエル人の利益を求める人がやって来たからである。(2:10)

 

神から与えられたビジョンの実現に取り組むとき、必ず問題も起こってきます。そして、問題を難なく上手に乗り越えられる人はいません。乗り越えるか、つぶれるかの大きな分かれ目は「あきらめる」か「あきらめない」かというところかもしれません。このことについては、またこの先に触れたいと思います。

 

 

現実を見つめる力をもった器

 

私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。(2:13)

 

ネヘミヤはごくごく数人の仲間たちと共に、夜中に現地視察を行いました。そこには彼にとっては見たくない現実が横たわっていたのですが、しかし、彼は出かけていってそれを目に焼き付けるのです。

 

そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。(2:15)

 

彼はおそらくたった一人で水の流れを上って歩き、城壁を調べました。ろくに調べもしないで、「なんとかなるさ」「まあ大丈夫じゃないの」とは考えなかったのです。逆に、見てもいないのに必要以上に想像を膨らませて恐れおののくこともしませんでした。調査や情報収集、研究や分析は不信仰なことではありません。重要な信仰的営みなのです。

 


聖なる楽観力をもった器

 

彼は厳しい現実を直視しながらも、前向きでした。これは聖なる楽観力と呼んでも良いかもしれません。調査し、分析し、ただ単にそれに基づいて判断することなら、神を認めない人々も同じように行っています。しかし、ネヘミヤは、このビジョン実現のプロセスが徐々に進行する中で、自分自身に働きかけている「神の恵みの御手」*2というものを明確に意識していました。彼は、その御手を信頼して前向きな決断を下していくのです。

 

私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。(2:8b)

 

 …(私は)私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう。」と言って、この良い仕事に着手した。(2:18)


どんな状況の中でも、私たちは「神様が必ず良くしてくださる」「主が御手をもって祝福してくださる」という信仰を持ち続けたいと思います。ネヘミヤは「私の神」ということばを繰り返しますが、それは、彼が神との個人・人格的な関係をもっていたことを示唆しています。神はネヘミヤという一人、私という一人に目を留めてくださる方です。

 

そして、その神の御手は、恵みの御手です。直訳は「良い手」です。神の御手は、善なる御手なのです。この神が、神ご自身のビジョンを成功へと導かれるのです。

 

そこで、私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」(2:20)

 

自分自身を省みる時、ネヘミヤの備えていた資質を十分に身につけているだろうかと恥ずかしくなります。しかし、同時に、このネヘミヤ記を読みながら「このような私にも主の恵みの御手が伴っている。神ご自身が成功させてくださる。」ということも確認させられ、励ましを受けます。

 

最後に、こう祈りたいと思います。

 

「主よ、この私(たち)にあなたの恵みの御手を置き、あなたの喜ばれる働きのために用いてください。私たちの足りないところを補い、誤っているところを直し、あなたに用いられやすい器として整え続けてください。」

 

 

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*1:参照: ダニエル1:10

*2:この表現はエズラ記にもしばしば登場する。参:エズラ記7:6,9,28,  8:18,22,31